2012年4月9日月曜日

Medic-Egyptology_医学とエジプト学


6. 医学とエジプト学   A・ロザリー・デイヴィッド(マンチェスター大学生物医学エジプト学教授)

古代エジプトから残存する豊富な証拠はテクスト、遺跡、記念碑、工芸品、植物、人間の遺体を含みます。特に、碑文の翻訳と芸術と建築の学問的解釈はこの文明の私たちの理解のための基礎を提供してきました。しかし、芸術と文学は完全な史実を語らない歪められたあるいはプロパガンダ的視点を提供することが出来ます。

他方、人間の遺体は病気、生活状況、治療、遺伝学、ミイラ化技術に関する分析的研究のための重要で偏見のない資料を代表します。原則として、科学的証拠は古代の生活へのもっと正確な洞察を示すでしょう。研究者たちはいくつかの方法論に関連した落とし穴とデータを誤解する可能性に常に気づいていなければならないけれども、それにもかかわらず、生物医学エジプト学はこの主題に重要な貢献をすることができます。

ミイラ化 : 概観

ミイラは組織の自然なあるいは人工の保存が腐敗を妨げている死体です。それらはいくつかの国々で現れますが、「ミイラ」という用語は本来エジプトの人工的に保存された死体を記述するために使われます。その言葉は「ピッチ」あるいは「瀝青(れきせい)」を意味するアラビア語のムミアに由来し、その黒ずんだ瀝青質の外見のためにエジプトの死体に最初に適用されました。自然な(意図的でない)ミイラも人工の(意図的な)ミイラも両方エジプトに現れます。

環境の要因が自然なミイラを生じました。太陽熱と砂漠の端の最古の墓穴の乾燥した砂との組み合わせが死体の組織を完全に乾燥させ、分解を阻止しました。もはや死体を保存する状況を提供しない異なるタイプのエリートの墓の導入(紀元前3,400年頃)はミイラ化の人工的な方法を発展させるようエジプト人を促しました。実験は死体の内臓摘出(内臓は結局体内に戻されるかあるいは特別な容器で保管されました)とその後のナトロン(天然の堆積層で発見される炭酸ナトリウムと重炭酸塩の混合物)を使った死体の組織と内臓の脱水を含む処置に至りました。樹脂は処置で使われたもう一つの物質でした。

本来王族のために導入され、その後裕福な人々も利用できるようになった意図的なミイラ化は、キリスト教時代にまだ使用されましたが、大部分の人々は質素な墓穴に埋葬され続け、その環境的状況は自然なミイラ化に至りました。しかし、博物館と収集家たちが通常人工的なミイラを購入したので、これらが大部分の現代の科学的研究の焦点になりました。結果としてこのことは上流階級の健康状態の不相応な強調を生じました。

人間のミイラに加えて、エジプト人は、たくさんの動物がさまざまな神々の顕現であると信じて、それらもミイラにしました。これらは大量に残存してきましたし、分析的研究の主要な、しかしあまり開発されていない資料を提供してくれます。

研究資料

ミイラ : 有限の資料

科学的研究は、不適切な保管、環境の要因、物理的損傷、あるいは初期の不適切な保存の試みの結果であり得るミイラの劣化のプロセスと同様、病気、生活様式、遺伝学、葬祭慣習に関する情報を追加できます。これらの状況は様々な手段によって阻止されるかあるいは改正されることが出来ますが、そのような処置が科学的証拠の保存に与えるかもしれない影響は注意深く考慮されなければなりません。

国際古代エジプトミイラ組織バンク

住血吸虫症に関する疫学研究を支援するためにマンチェスターに設立されたこの類のないバンクは、エジプト国外のコレクションで保有されているエジプトのミイラからの約2,000サンプルを現在保有しています。サンプルは時代と社会グループの範囲を代表するので、バンクは、食事、遺伝学、ミイラ化技術に関する研究と同様、エジプトと他のどこかにおける古疫学的研究とその他の病気の研究にとってかなり可能性を持っています。バンクはそのようなプロジェクトのために少量の組織を貸し出し、そうでなければミイラへの直接のアクセスに頼ることになる分析的作業の資料を提供します。サンプルのためのミイラを厳密に調査する必要を制限することによって、バンクは有限の資料の保存に貢献しています。

医学パピルス

12の現存するパピルスは古代エジプトの医学大系に関する現在の知識の基礎を提供してくれます。しかしこれらはきっとかつて存在した医学の記録書類のほんの一部しか示していないに違いありません。患者の観察とミイラ化に起源がある解剖の経験に基づいて、パピルスは(時々不正確に)さまざまな身体組織、特定の病気と怪我、「合理的」治療も「魔術的」治療も含むように思われる製薬の処方の範囲を記述します。人間の遺体の調査からのデータとパピルスは重要で、補い合い、かつ比較できる資料です。

注) 12医学パピルスとそれらに記された処方については、大澤彌生(薬剤師)著『古代エジプトの秘薬 ピラミッドを考案した人たちが作り、ゾサー王やツタンカーメンも使った薬』(エンタプライズ株式会社、2002年)をご覧下さい。

初期の調査

ルネッサンス以降、博物館、学問上の団体、裕福な個人はそれらのコレクションのためにミイラを獲得しました。ヨーロッパで最古のミイラ解体は16世紀に年代づけられます。これらの馬鹿げた社会的出来事の多くは学問的記録を残しませんでしたが、ほんの少数の調査者たちは多くの専門分野に亘る、科学的アプローチを採用し、それらの結果を出版しました。たいていの注目に値するミイラ解体はロンドンで外科医T. J. ペティグルー(1791-1865)と内科医A. B. グランヴィル(1783-1872)によって行われました。重要な検屍解剖は1825年にthe Leeds Philosophical and Literary Societyの会員たちによって行われました。

1908年にM. A. マーリーは、彼女のチームがマンチェスター大学で二体のミイラを解剖し、研究した時、ブリテンで古病理学の研究を復興しました。1871年と1898年にテーベで二つの王のミイラの隠し場所が発見されました。カイロへの運搬後、これらは解体され、ミイラ化の技術に関するG. E. スミスの先駆的作業の基礎になりました。

20世紀初めに最初のアスワンダムが建設された時、遺産救済作戦として確立された、ヌビア考古学調査はG. E. スミス、W. R. ドーソン、F. W. ジョーンズによる重要な研究の焦点になった約6,000体の古代の死体を回収しました。

現代の診断・調査技術

ミイラの検屍

ミイラの初期の調査者たちは死体を解体し、解剖し(検屍)、その後にその一般的状態と状況の目視検査と身体検査(病理解剖学)を行うことに限られました。検屍はあまり破壊的でない技術よりも多くの詳細な情報を提供してくれ、研究者たちがさらなる分析のためにサンプルを取ることを可能にします。それゆえ、多くの専門分野に亘るチームを含む数回の検屍が1970年代と80年代に行われ、これらは広範囲な研究の基礎を形成してきました。

いくつかの重要な研究

コックバーンのチームは数体のミイラを検屍しました。これらはデトロイト美術研究所 I (1971)、ペンシルヴェニア大学博物館からのシリーズ(I-1972, II-1973, IIIとIV-1979)、トロント・ロイヤルオンタリオ博物館 I (1974)を含みました。

その間に、ブリテンでは、1975年に、マンチェスターエジプトミイラ研究プロジェクトの一部として、マンチェスター大学で一体のミイラが検屍されました。チームの目的は病気、食事、生活状況、葬祭慣習に関する新しい証拠を提供してくれるミイラ化された遺体を検査する方法論を発展させることでした。最初の科学的検屍は1908年以来ブリテンで行われ、ミイラから最大限の情報を得るために広範囲な技術が使用されました。マンチェスターの方法論はそれから1982年にブリストル市博物館でミイラに応用され、検屍されました。他の同様なプロジェクトはリヨンでのミイラの検屍と、ミュンヒェンミイラプロジェクトの一部として、いくつかの頭部と動物と同様、三体の不完全な人間のミイラの検屍を含みました。

結果、限界、可能性

そのような現代の検屍とその後の研究は、ミイラが病気の研究にとっていかに類例のない資料であるかを立証して、広範囲の科学的かつ公共の利益を喚起してきました。これらの死体を検屍する決定は通常、ミイラがとにかくひどい保存状態にあることに基づいて、なされました。


grunionsはビーチゾーンに住んでいません

それにもかかわらず、検屍は破壊的で取り返しのつかない処置です。1980年代以来、すべての人間の遺体の状態に関する倫理的考察とミイラは古代文化を研究するための有限かつ貴重な資料であるという事実が、他の最小限の破壊的技術を発展させることを調査者たちに促してきました。

放射線学

放射線学は最小限の破壊的検査方法を提供し、病気と怪我の明白な証拠と同様、各人の文化的考古学的コンテクストに関する情報を引き出すことが出来ます。

この分野では1970年代に重要な発展がありました。そのときまでは、大部分のミイラは地域の電力供給に接続された移動式小型装置を使って、現地でX線写真を撮られました。しかし、この方法には限界がありました。1973年にマンチェスター・プロジェクトは新しい標準化された処置を導入しました。人間と動物のミイラ化した遺体は大学の博物館から医学部と教育研究病院に一時的に移され、そこで現状の装置を使って、コントロールされた状況でX線写真を撮られます。

技術は蛍光透視法(テレビスクリーンで伝達されたX線を視覚化すること)と断層撮影法(水平面で組織のセクションあるいは断面のX線を提供する方法)を含みました。前者の方法は調査者がミイラの中身を査定するのを可能にしてくれる一方、後者はミイラの特定の範囲について追加の情報を示してくれます。

マンチェスターで継続中のプログラムはコンピューターを使った断層撮影法(CT)も使ってきました。ブリテンで発展させられてきたこの技術は三次元画像を創りだし、伝統的な方法が提供できないかもしれない患者に関する情報を示してくれます。CTは1976年に初めてうまくミイラに適用され、若い織工ナクトのミイラの脳の画像がトロントで制作されました。ミイラが検屍された時、無傷の脳が取り出されました。今やCTはミイラのたいていの放射線学的調査における標準的な方法です。

いくつかの重要な研究

1896年のX線の発見は急速にエジプト学に適用されました。W. コーニグはドイツ・フランクフルトで子供と猫のミイラのレントゲン写真を撮りました。サースタン・ホーランドは1897-8年にミイラ化された鳥のX線写真を撮りました。しかし、W. M. F. ピートリーは考古学への技術の可能性を認識し、それを古代の人間の遺体に使った最初のエジプト学者でした。

1904年にG. E. スミスとH. カーターは王のミイラのために放射線学の使用を開拓しました。最近発掘され、解体されたトトメス4世のミイラは馬に引かせた辻馬車でカイロの個人のX線施設に運搬され、放射線学的研究はエジプト学者たちが王の死亡時の年齢を概算するのを助けました。最古の広範囲に亘るミイラ調査の一つは1930年代にシカゴ野外博物館でエジプトとペルーのミイラに対して行われました。1960年代にはP. H. K. グレイがヨーロッパ中とブリテンの博物館にある約200体のミイラのX線を撮りました。1966年と1971年の間に王のミイラの放射線学的調査がカイロ博物館でJ. E. ハリスとK. R. ウィークスによって行われました。

1970年代以来、放射線学は多くのミイラの学際的研究で重要な役割を果たしました。それには1976年にパリに運搬されたラムセス2世のミイラの調査も含まれ、ミイラはX線撮影とX線電子写真法を受けましたが、CTは受けませんでした。

最近の調査は初期のプロジェクトから発展したライデン国立博物館のコレクションの研究を含みます。大英博物館ではミイラへのCTスキャニングの適用がさらに進められました。ソフトウェア・ツールセットの使用は見る人がミイラの内部を「ツアーし」、「バーチャルな解体」を行うことを可能にします。この新しい技術は従来のミイラのX線撮影の研究では発見されなかった証拠を明らかにしてきました。

いままで、動物のミイラに関するたいていの研究は放射線学的調査に限られてきました。これらの調査は、ミイラの中身が常に外観と矛盾がないというわけではないことを立証して、いくつかの興味深い結果を生み出してきました。あるものは異なる種の動物、卵、単なる骨、羽根、棒を含み、あるものは空っぽです。

結果、限界、可能性

放射線学的調査はミイラに関する考古学的、社会学的、生物医学的証拠を提供することが出来ます。骨格の成熟度と発達はそれぞれの骨格における骨の骨化作用(骨性の発達)に基づいて、評価され得ます。性の同定については、X線は唯一の証拠を提供するかあるいは関連する棺に関する碑文の情報を確認することが出来ます。骨格といかなる残存する柔組織における病気と外傷の存在もX線撮影で証明されえます。

しかし、時々、放射線学上の証拠は誤解されえます。例えば、X線撮影でミイラに観察された椎間板の不透明化はまず組織黒変症に原因を帰せられます。しかし、この稀な状態の意外な頻度を示す64体のミイラの後の観察は椎間板の不透明化は病気よりもむしろミイラ化処理の影響によるものに違いないと結論を下しました。その結論は後の科学的研究によって確認されました。

一般にX線はそれぞれのミイラの歴史上の年代を同定するのに役立ちうる情報群を提供してくれます。X線撮影はナトロンあるいは樹脂、胸郭と腹腔の内臓一括の存在を証明しながら、ミイラ化処理に関する知識を高めることも出来ます。X線は両腕の配置、装身具類やその他の工芸品の存在、ミイラ職人の修復(身体の輪郭を真似た皮下の詰め物、義眼、義肢)を示します。それらは脳の除去の際のいかなる試みも明らかにし、どの方法が使われたかを示すでしょう。この技術は「偽ミイラ」も明らかにしてきました。時々これらはだまされやすい観光客に売られた贋作、あるいはもし死体が失われたり傷つけられた場合、依頼人の家族をだまそうとした古代のミイラ職人たちの試みでした。

事実上非破壊的技術として、X線撮影は王のミイラに関する現代の調査研究のための主要な方法として選ばれてきました。例えば、放射線学のデータは個々の支配者たちの死亡時の年齢を決定するために使われてきました。しかし、現代と古代の住民では、遺伝と栄養の影響のせいで、骨格の成熟度に相違があるので、古代エジプト人の骨年齢を明らかにするための北米とヨーロッパの放射線学の標準の適用は問題を提起してきました。このため、ミイラからの放射線学の結果のうちのいくつかは歴史上かつ考古学上の証拠によって示された治世の長さと一致しません。

特定の疑問に対する答えも探求されてきました。1960年代に、R. G. ハリソンはトゥトアンフアメン王のミイラ、彼の墓の中で発見された二体の胎児、(一般にスメネフカーラー王、すなわちトゥトアンフアメン王の兄と思われていた人物のミイラと仮定されている)55号墓からの死体の多くの専門分野に亘る調査を指揮しました。血縁関係に関する理論、病気、トゥトアンフアメン王の死因は主に放射線学上のデータに基づかれました。2005年に、最新の研究−トゥトアンフアメン王のミイラのCTスキャン−が、Z. ハワス率いる古遺物最高評議会(SCA)のチームによって企てられました。初回報告書は王の死亡時の年齢、ミイラに見られる病気について説明し、代わりの死因を示唆する、彼が殺されたかもしれないという以前の推測に異議を唱えました。

事実上非破壊的技術として、放射線学はミイラ研究で重要な役割を果たし、ミイラを検査する際に取りかかる第一歩であるべきです。しかし、それには限界があります。費用がかかり、適当な装置と専門技術が直ちに利用できないかもしれません。またすべての答えを提供できるわけではありません。ミイラに保たれた情報の大部分は、他の技術によってのみ入手できます。そのうちのいくつかは最も邪魔をしません。

生物医学的・考古学的証拠と同様、X線撮影は歯の研究、内視鏡検査、科学的な復顔のための重要なデータも提供してくれます。

古歯科学

人間の遺体、古代のパンのサンプル、碑文の証拠に関する研究は、エジプト人の歯の状態、日常の飲食物、 歯科医師たちについての知識の基礎を提供してくれます。

歯の研究のために利用できる人間の遺体は乾燥頭蓋骨とミイラの頭部(死体から離れていてもくっついていても)を含みます。乾燥頭蓋骨のコレクションは、包帯で巻かれたミイラの頭部から得られたX線撮影のデータを解釈するのに使われうる病理学と非病理学の状況の直接の経験を示して、この資料を扱い、視覚的に検査する貴重な機会を提供してくれます。


happynessは何ですか

多くの場合、たとえorthopantomograph(歯のパノラマビューを示す)のような専門的な装置が使われても、X線撮影の結果は損なわれうるので、これは特に重要です。これは歯の細部がしばしば包帯の中に封じ込められた葬祭用の顔のマスクや口の周囲の硬い顔の組織によって分かりにくくさせられうるからです。

しかし、一つのミイラでは、個人の口の部分の直接の口内のX線写真を取り、それから現代の患者のために得られる何かと同じくらい完全な外観を作り出すことが可能でした。これはミイラの口が(舌を突き出した状態で)開いていて、歯への優れた接近を提供してくれるからです。

いくつかの重要な研究

個々のミイラに関するいくつかの多くの専門分野に亘るプロジェクトは歯の研究を含み、住民グループの歯列の調査も企てられてきました。例えば、ミシガン大学からの1965年以来の毎年の調査はギーザの古王国のエリートたちのミイラ(紀元前2,800年頃)、ルクソールの新王国の神官たちと貴族たち(紀元前1,250年頃)を検査しました。1966年から1971年まで、ミシガン大学とアレクサンドリア大学はカイロのエジプト博物館の王のミイラの大部分の歯列を検査・研究するプロジェクトを支援しました。

別の研究は当時のエジプト人とヌビア人住民たちの口腔衛生と病気を調査し、古代の資料に関する作業のための比較データを提供しました。アスワン・ハイダムが建設中だった1966年から、約5,000隊の古代ヌビア人の死体を調査した救出作戦は、古歯科学の研究のための基礎として1,000個の頭蓋骨のレントゲン写真を撮ることにも関係させられました。もっと最近、ケンブリッジとロンドン自然史博物館のダックワース・コレクションからの約500個の頭蓋骨が重度の歯科病理学の証拠とどのようにしてこれが日常の飲食物によって影響を及ぼされたかのために研究されてきました。

結果、限界、可能性

多くの場合、歯の病気と一般的な口腔病理学に関する情報は歯と歯を支える保存状態の良い乾燥した柔組織から収集されます。

また、墓から出土したパンは顕微鏡で検査され、穀粉が風に吹かれた砂と、倉庫からのくずとひき臼の粒子を含む、多くの不純物で汚されたことを明らかにします。日常の飲食物の主要構成要素−砂の入ったパンの規則的な消費は、歯の先端(噛む表面)の摩滅を引き起こしました。

摩滅、ファラオ時代の最もありふれた歯の病気は歯髄の露出に至ったでしょう。そしてそれは感染し、敗血症性嚢胞(のうほう)に発展し、時々死に至りました。この一連の出来事はトロント・ロイヤルオンタリオ博物館でジェドマートエスアンフのミイラではっきりと証明されます。そこでCTスキャンが彼女の左側の上あごの骨に大きな嚢胞(のうほう)を明らかにしました。

あるミイラでは、虫歯の証拠もあります。この状況はファラオ時代には広まっていませんでしたが、ギリシア・ローマ時代のミイラには、おそらく日常の食事の変化の結果、発生率が増加します。

歯科病理学、日常の飲食物、栄養に関するデータを提供するのと同様に、歯は−人間の遺体の中で最も不滅のものとして−年齢決定に関する研究のための貴重な情報源です。

医学パピルスは歯の治療のためのいくつかの処方を含みます。歯の処置が上手な専門職の存在に関する議論は続いているけれども、テクストはまた数人の医師が歯科医の称号を持ったことを示します。

内視鏡検査

内視鏡検査はミイラの内部から組織、骨、その他のサンプルを得るための事実上非破壊的な方法です。内視鏡は探査先端部に光源を組み込んだ細い管です。初めのうちは、しなやかな(医療用)内視鏡がミイラの調査に使われましたが、ミイラにされた組織は通常硬くて曲がらないので、硬い工業用の内視鏡が一般にもっとうまく行きます。ミイラ化の過程から生ずる人工的な開口部、自然の開口部、皮膚の小さな傷穴は内視鏡の進入手段を提供してくれます。

内視鏡の探査先端部には必要な生検のサンプルを採るために小さな検索鉗子(かんし)が付けられています。可能な限り、これはミイラ内の内視鏡の正確な位置を目に見えるようにするX線撮影のスクリーンあるいはモニターを使って容易にされ、このようにして予定された調査のために確認された場所から特定の組織を採取する可能性を最大限にします。

いくつかの重要な研究

1970年代の内視鏡の導入はミイラを解体し、検屍するという破壊的方法に取って代わりました。初期の実験は1975年のカイロでの三体のミイラの内視鏡検査を含み、その使用はサンプル採取のための特定の範囲を正確に示すためにX線撮影とともに行われました。

1980年代からマンチェスター・ミイラ・プロジェクトはその調査における標準の処置としてその技術を応用し、発展させ、この方法で得られた生検サンプルで病気を同定しました。当初1824年に検屍されたリーズ(ウエストヨークシャー)からきたミイラが1991年にマンチェスターチームによって再検査された時、彼らは新しい情報を得るために内視鏡検査と検屍技術を結びつけました。

結果、限界、可能性

病気と遺伝学に関する病気のためのサンプルを提供するのと同様、内視鏡検査はミイラ化処理自体を調査する方法です。それは組織の状態と保存の方法を明らかに出来、内臓が胸郭と腹腔から除去されたかどうか、脳の除去が試みられたかどうかを確認し、ミイラ内にまだ存在する工芸品あるいは昆虫を正確に示すことが出来ました。

しかし、内視鏡検査はミイラ内のほんの一部への接近しか提供せず、完全な検屍と同じくらいたくさんの証拠を提供できません。しかし、本質的にそれは現代的な検屍の代替法です。さらなる調査のためにサンプルを獲得する最小限破壊的な方法を提供し、将来の研究のための貴重でかけがえのない情報源としてミイラ全体を保存します。

古病理学

古代の住民の間での病気の発生を研究する古病理学の観念は20世紀初めに細菌学者M. A. ラファーによって主唱されました。人類学、考古学、古生物学、古組織学を含む、多くの学問分野に頼ります。

一般に、白骨化した遺体(しばしば古代社会から残存する唯一の証拠)で作業する調査者たちは骨から明らかなそれらの病気を同定することしか出来ません。しかし、ミイラ化された遺体では、保存された組織は病気同定のための追加の情報源を提供してくれます。

現代の患者のために、病理学は病気の過程を同定し、研究するために様々な技術を使います。これらのうちの二つ−病理解剖学(死体の肉眼による研究)と組織病理学(病気に冒された組織における変化の研究)−はミイラを調査するためにうまく適応させられました。

組織病理学者に利用できる技術は組織学(組織の微細な構造と病気によって引き起こされたどんな変化も示すために光学顕微鏡を使用します)、電子顕微鏡(サンプルのより大きな拡大はその細部の構造のさらによい解像を提供してくれます)、免疫組織化学(特殊な汚れが組織における細胞成分を同定する見込みを増大させます)を含みます。

古代の組織への組織学的技術の適用は古組織学として知られます。成功に到達するために、技術は当座の処置を必要とします。まず資料は再水和し、固定されなければなりません。それから現代の組織と同様、冷凍され、顕微鏡検査の準備のために着色される部分で切断されます。

いくつかの重要な研究

古組織学は1889年にフーケによって主唱されました。ラファーは古代の組織を再水和するために化学薬品(ラファー溶液)を発明することによってこれをさらに発展させました。これは今でもなお現代の研究の基礎を形成します。後に、サンディソンとタップを含む数人の科学者たちが古代の資料を再水和して調査分析することにおいて進歩を取り入れました。また、1960年代以来、電子顕微鏡と免疫組織化学の貢献が、この分野における研究が重要な結果を生み出し続けることを確実にしてきました。

古組織学の技術はミイラの病気を同定する機会を大いに高めます。例えば、ペンシルヴェニア大学博物館とトロント・ロイヤルオンタリオ博物館のミイラからのサンプルに対してコックバーンのチームによって企てられた組織分析は、病気の範囲を明らかにしました。多くが寄生虫の侵入あるいは炭粉症と珪肺症で、それらはすべて環境要因によって引き起こされました。


あなたの個人的な視点は、人種プロファイリングに何ですか?

組織学と電子顕微鏡を使って、マンチェスターチームは脳と肺の組織に二つの包虫嚢胞(ほうちゅうのうほう)およびおそらく肝臓の吸虫(Fasciola hepatica−肝蛭(かんてつ))の一部を、同様に腸の組織に寄生虫と嚢胞の名残(仮に糞線虫属と同定)を同定しました。分析用電子顕微鏡(AEM)は肺組織で発見された濃密な結晶粒子が珪石粉であることを証明し、その人物が砂による塵肺症(じんはいしょう)を患っていたことを示しました。

結果、限界、可能性

病気研究に加えて、これらの技術は他の領域における知識に貢献することが出来ます。例えば、分析研究は皮膚サンプルに細胞膜、核組織、クロマチンのような組織の構造要素を明らかにしました。そして、1967年に透過型電子顕微鏡(TEM)は初めて古代エジプト人の頭部から採られた皮膚と筋肉の組織の微細構造を検査するために使われました。

電子顕微鏡の研究は骨とミイラ化された組織に重金属の存在を確定するために使われてきました。固形物の表面を検査する走査型電子顕微鏡(SEM)はミイラの中で発見された昆虫の残骸を同定するのに有効な方法であることが分かりました。ミイラ化された死体とその包帯はかつてミイラ化の前後と間に到達したさまざまな昆虫の宿主(しゅくしゅ)でありうるので、この研究は昆虫攻撃のパターンに関する役に立つデータを追加しました。TEMとSEMはミイラからの髪の毛のサンプルの表面、構造、病気を検査するためにも使われてきました。

さらにミイラ化の処置が調査されてきました。皮膚の保存とミイラ化された組織の化学成分に関する研究がありました。それはナトロンを使う方法は組織保存の質と相互に関係があることを示してきました。眼に関する研究は再水和されたミイラ化された頭部から眼球の残存物を復元することが出来ることを証明してきました。

これらの技術の主な限界は、ミイラから採られたサンプルが重要な証拠を含むということを保証する方法はないということです。多くの例では、サンプルの顕微鏡検査は包帯の断片かあるいは塵だけを明らかにし、組織学的関心のあるものはないでしょう。

免疫学の技術

組織サンプルのX線撮影と直接顕微鏡検査はミイラの多くの病気を同定するための有効な診断ツールでありえます。しかし、X線撮影は通常病院局でしか利用できない高価な装置へのアクセスに依存しています。成功する顕微鏡検査は寄生虫やその卵の残存物あるいはその他の病気の組織学的証拠を含む特別なタイプの組織を必要とします。

しかし、免疫学の技術は相対的に安く、大量のサンプルに適用され得ます。(病気の証拠がしばしば発見される)内臓が入手できないときでさえ、これらの方法は骨やその他の組織の小さなサンプルのために使えます。1989年にディードラーは酵素免疫測定法(ELISA)をミイラ化された残存物にうまく適用する最初のプロジェクトを指揮しました。これはサンプル内の循環陽極抗原(CAA)の存在を突き止めることが出来る処置です。

生体組織を使って作業する時、科学者たちはその抗体を探すことによって病気を突き止めようとするでしょう。しかし、抗体はおそらく古代の組織には残存しません。しかし、いくつかの研究では、(特定の病気と関連がある原因となる虫か卵の一部である残存している抗原の存在を突き止めることが出来る)免疫細胞化学が有効な診断ツールであることが分かりました。

いくつかの重要な研究

1995年に、マンチェスターミイラプロジェクトは古代と現代のエジプトにおける住血吸虫症の比較疫学的プロファイルを構築するためにアメリカ人科学者とエジプト人科学者との共同研究を始めました。この調査に十分な統計データを提供するために、国際古代エジプトミイラ組織バンクがマンチェスターに設立されました。免疫組織化学は大量のサンプルでこの病気を突き止める最良の方法として応用され、発展させられました。

結果、限界、可能性

個々のミイラあるいはグループのミイラに関する以前の研究において、免疫細胞化学は住血吸虫抗原が何千年経っても残存したことを示しました。マンチェスターの研究はこの結論を補強しました。このプロジェクトで調査された50体のミイラのうち、30%は病気に冒されていることを示されました。免疫細胞化学によって生じた結果を確認するために、酵素免疫測定法(ELISA)とDNAの研究は同じ資料で企てられてきました。また、DNAは初めて、これらのサンプルで発見された住血吸虫寄生虫といくつかの卵で同定され、研究者がこの古代のDNAを現代のサンプルと比較することを可能にします。ついに、そのような研究は何千年にも亘るこの寄生虫の進化と発育の知識に貢献し、それがなぜそのようにその人間の宿主の免疫システムによ る駆除を避けるのに成功したのかを決定するのに役立ちます。

ミイラ化された遺体における住血吸虫症を突き止める方法としてその有効性を証明してきた免疫細胞化学は、いくつかの他の病気の診断ツールとして発展させられることができます。特に、将来の疫学研究のためにそれはかなりの可能性を持ちます。しかし、これらは古代エジプトミイラ組織バンクのような情報源を必要とするでしょう。

研究者たちは結核と癩病(らいびょう)を含む他の病気の探知も追求しています。さらに、あらゆる時代からのミイラ群に関する研究において、ParaSightTM-F テストは熱帯熱マラリア原虫によって作られた抗原を同定し、これらの人々が死んだ時マラリアに冒されていたことを示します。

DNA分析と古血清学

1980年代に、S. パアボは古代の人間の遺体からの遺伝子の資料を分離する最初の科学者になりました。後に、「遺伝子拡大」としても知られるポリメラーゼ連鎖反応(PCR)が古代のDNAサンプル(aDNA)を調査分析するより速くてより良い方法を提供しました。

パアボの成功以前、古血清学(古代の人間の遺体における血液グループの研究)は血縁パターンと人工の動きを追跡する可能性を提供してくれました。1930年代さまざまな実験が血清学的測微法(SMM)と反応抑制凝集テスト(IAT)のような技術を使ったいくつかの限定的成功で最高点に達しました。しかし、古血清学は常にかなりの技術的困難を示し、決して全く納得させる結果を生み出しませんでした。それは今やDNA分析に取って代わられてきました。

結果、限界、可能性

骨か組織の小さなサンプルだけがDNA分析に必要とされますが、古代の遺伝子資料は多くの問題を提出します。これは主に少量だけ残存するaDNAが非常にしばしば損なわれ、汚染され、ひどく保存されているからです。その劣化した状態に貢献しうる追加の要因はミイラ化で使われた薬品とミイラに適用された取り扱い、保管、保存を含みます。

ミトコンドリアaDNAは核aDNAよりも少ない問題を提出するので、通常研究はミトコンドリアaDNAに集中します。しかし、あらゆるミイラ研究において、現代の汚染の可能性を制限するために、非常に厳格な実験計画案が資料の選択、サンプル採取、調査研究で遵守されることが必要不可欠です。

諸困難にも関わらず、aDNA分析はかなりの機会を提供してくれます。ひょっとすると豊かな資料が、新たに発掘された遺跡から出土したミイラと博物館コレクションにあるミイラを含めて、研究のために利用できます。すでにミイラの遺伝子上のプロファイルを同定することは、時々個々の性と家族関係を確認することが出来ます。最終的に古代の住民の遺伝子マーカーは古代社会の起源、移住パターン、構成を決定するのに役立つかもしれません。

また感染症と寄生虫症に関するより多くの情報を得る可能性もあります。住血吸虫と卵の中の寄生虫のaDNAはすでにマンチェスターの研究者たちによって同定されてきました。菌類、ウイルス、バクテリアのaDNAに関する将来の研究は、現在発見を逃れているいくつかの感染症の存在を確認して、さらに重要な貢献をするでしょう。

しかし、これらの技術に関連した落とし穴があります。例えば、ヒヒのミイラからウイルスのaDNAを得る試み(エイズウイルスを調査するプロジェクトの一部)は、ミイラ化で使われたナトロンとミイラ職人たちがミイラを覆った石膏との反応のために、不成功でした。

機器分析方法

多くの調査がミイラの中の病気を突き止めようと試みました。しかし、亜麻布の包帯の構造と質、ミイラで発見され、葬祭用の品々と関連ある治療や化粧品の物質と植物に関する研究もありました。質量分析計の実験計画案もますますこの種の調査のために使われます。

いくつかの重要な研究


いくつかの初期の調査は樹脂、ガルバヌム、蜜蝋のようなミイラの包帯に浸透した物質を分離し、特性を与える薄層クロマトグラフィーと気液クロマトグラフィーを使いました。他の研究はミイラ化と葬祭上の処理での樹脂の使用を探求しました。マンチェスターでの調査は古代の交易ルートを調べるために現在ミイラと関連した植物の残りの証拠を使っています。

分析研究は時々古代の文献の記述を確認することが出来ます。ヘロドトスとディオドルス・シクルスはミイラの体腔がヤシ酒で洗い清められたと述べました。痕跡は今やミイラから採られた膀胱の組織の微細なサンプルで同定されてきたことはありそうです。

これらの技術はまた古代エジプトの治療法と麻薬の使用の多くの専門分野に亘る研究で使われてきました。いくつかのプロジェクトはエジプト人が医薬の、宗教上の、社会的理由のために薬物を使用した可能性を探求する分析方法を含みました。

放射免疫検定法とガスクロマトグラフィー−質量分析法(GCMS)はミュンヒェンでミイラ群を調査するために科学者たちによって使われました。それらは髪の毛、皮膚、骨にコカイン、ハシーシ、ニコチンの存在を報告しました。しかし、調査された最古のミイラは紀元前1,000年頃に年代づけられるので、これは疑問を提出しました。この時代にエジプトあるいは旧世界でニコチンあるいはコカインの供給源は知られていません。

これらの発見は旧世界と新世界との間に今まで認識されていなかった初期の接触があったかもしれないという興味をそそる可能性を高めました。しかし、マンチェスターでの異なるミイラでの比較研究はこれらの薬物の証拠を明らかにしませんでした。そして継続中の調査はこれらの技術によって提起された問題、特にサンプルの汚染と間違った結果との間で立証されるかもしれない何らかの関連に焦点を当てます。

別の研究はアヘンが新王国と同じくらい早くに(紀元前1450年頃)キプロスからエジプトに輸入されたという理論を、アヘンの採れるケシの逆さにした花頭に似ていると主張される特別な水差しで、再検討してきました。しかし、選ばれた水差しからの残留物は、液体クロマトグラフィーとGCMSを使ってマンチェスターで分析されましたが、アヘンあるいはそのアルカロイドの存在を明らかにし損ないました。

エジプトの墓壁の場面では、宴会で招待客が睡蓮の花を嗅いでいるか、あるいは睡蓮の花の中に浸されたワインがおそらく入っている睡蓮型の杯から飲んでいるのを描かれています。エジプト学者たちはこれらを、エジプト人に取って睡蓮の美しさと宗教的重要さを象徴している率直な芸術表現とみなしました。しかし、一つの研究が青い睡蓮はその花と根茎に、エジプト人がおそらく陶酔感を誘発するために使った、よく効く麻薬性のアルカロイドを含むかもしれないと提案してきました。

しかし、睡蓮の真のステータスを確立するための新しい分析研究は、それはおそらくこの目的のためには使われなかっただろうけれども、エジプト人は睡眠を誘発し、痛みを軽減するこの植物の潜在能力に気づいていたかもしれないということを示します。

マンチェスターに根拠地をおく「古代エジプトの薬学」と題する新プロジェクトが古代エジプトの治療法を調べるために歴史的方法論と分析的方法論を結びつけています。国際的な多くの専門分野に亘るチームが医学パピルスからの文献上の証拠、古代と現代の植物標本、ミイラ化された組織のサンプルを含む資料への前例のない利用方法を持っています。DNAの技術と質量分析の方法を使って、目的はミイラに何らかの治療薬の痕跡を同定することとこれらの治療法の正確さと有効性を評価することです。

限界と可能性

これらの技術は相当な可能性を提供するけれども、上述の例から、いくつかの分析は、さまざまな理由で、歴史的証拠と矛盾する結果を生み出すかもしれないことは明らかです。調査者たちは科学分析がいくつかの情況では人を誤らせ、全データの控えめな評価が常に必要であることに気づくべきです。

科学的復顔

法医学的な人の身元確認のために発展させられた技術は骸骨あるいはミイラ化された遺体からの古代エジプト人の復顔のためにうまく適応させられてきました。

最古の復顔は頭蓋骨の鋳型の上に粘土かロウで形成されました。しかし、エジプト人の頭部は通常包帯で包まれているか、あるいは皮膚組織で覆われているので、頭蓋骨への直接の接近を許さず、他の方法を発展させる必要がありました。CTによって提供された数字でディジタルデータが今や頭蓋骨の詳細なポリスチレン製レプリカを制作するために使われ、復顔の基礎を形成しています。また、コンピューターによる立体肉付け作業と光造形を含む革新的方法がこの作業に新しい広がりを加えます。

いくつかの重要な研究

多くの専門分野に亘るミイラチームが自分たちのプロジェクトの一部として科学的な復顔を制作し、あるいは制作依頼してきました。このことは特定のミイラに関して行われてきた調査を述べる博物館の展示において劇的な視覚教材を提供できます。それはまた病気や外傷、何らかの目立った家族の特徴を図解することによって包括的な科学的研究に貢献することも出来ます。

研究はまた特別な歴史的疑問にも取り組むことが出来ます。例えば、エジプトにおいてローマ時代の間、肖像板がミイラの顔の上に置かれていました。これらは所有者の一生のうちに描かれた真の各個人の肖像だったかもしれないと議論されてきました。最近のプロジェクトは頭部のCTスキャンから得られたディジタルデータに基づいて、各肖像板に描かれた顔を対応する復顔と比較するために四体のミイラを使いました。この研究は肖像の正確さに関するいくらかの驚くべき情報を明らかにしてきました。

いくつかの限界

科学的復顔の正確さは時々疑われてきました。それらは本当に古代からの個人の真の肖像を表すのだろうか? しかし、この方法論の信頼性はその法医学的応用によって確認されています。現代の法医学事件で個人が最終的に確認される時、復顔の正確さを評価する良い機会があります。このことは古代の頭部で達せられた結果に支持を与えます。

将来の可能性

1970年代以来、ミイラと関連資料の分析調査に基づいた生物医学エジプト学の下位の学問分野は古代エジプトの研究に新しい広がりを付け加えました。それは他の資料から入手できない情報を提供し、文献あるいは考古学上の証拠に基づいた理論と解釈を確認あるいは訂正することも出来ます。

将来のエジプト学者たちはその可能性と限界に気づく必要があるでしょう。適切な機会がこの分野でのキャリアを追求したい人々のために案内されるべきです。専門の訓練と研究の機会が今や2003年にマンチェスター大学に設立されたKNH生物医学エジプト学センターにあります。それは、研究と共同訓練プロジェクトでの協力を促進するために、マンチェスターとエジプト国立研究センターの生物人類学者たちとの間で合意された正式な協定によって向上させられます。

エジプトは千年紀を超える比較疫学の研究のための類のない機会を提供します。病気の証拠は古代のミイラ化された組織と白骨化した遺体の分析によってのみならず、大部分国の本来の住民からの血統をたどることが出来る人々の当時の健康調査によっても提供されます。

この特別な環境のセットは約七千年に亘る病気のデータの科学的評価と比較をするための稀な機会を呈示します。最終的に、きっと普遍的な病気の歴史のもっと幅広い研究にこの知識を与えることが可能でしょう。

[お断り] 以上はEgyptology Today (Cambridge University Press, 2008) , pp. 36-54の翻訳です。訳者の勉強不足、力量不足による訳文の不備、間違いなどがございしたら、遠慮なく御叱正下さい。(2008年4月30日、西村)



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