2012年4月17日火曜日

軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ) - 大和型




戦艦大和って世界一大きい戦艦だそうですけど、どれぐらい大きいのですか?

基準排水量では64,000トンで世界最大ですが、長さではアメリカのアイオワ級の方が大和に勝ります。
主砲の口径と排水量と横幅で世界最大です。

(くだらない質問はここに書け!:11)


戦艦大和に使用していた装甲板の名称と長所を教えていただけますか。

喫水線あたりの水平防御はVH
→鍛造して表面から1/3だけ焼き入れ、表面浸炭無し
水の中の水平防御はNVNC
→均質に焼き入れ?、表面浸炭無し
甲板や蜂の巣等の垂直防御はMNC
→モリブデン含有、表面浸炭無し

日本で開発されたVHはVC(均質焼き入れ表面浸炭有り)に比べて容易に作ることが出来るわりには性能が高いらしい。

(くだらない質問はここに書け!:122)

戦艦 大和をいま造ったらいくらかかりますか?また、当時いくらかかったんでしょうか?

当時と全く同じもの、というのであればちょっと無理だと思われます。
当時の技術だったもので、失われたものも多いです。(必要がない、代用技術が発展した)
後、設計図の問題があります。大和は軍事機密の関係上、残ってる資料が非常に少ないため、なぞも多いんです。

ですから、似たような張りぼてならば建造可能だと思われます。
作ったとしても、建造費用はタンカーの比ではなく、空母並のお値段だと思われます。


戦艦大和・武蔵は当時莫大な金額で建造されたそうですが、現在の貨幣価値に換算して如何ほどにて造られたのでしょうか?

昭和12年から4年間をかけて、1億4千万円(現在の貨幣価値で4200億円)の予算と
のべ170万人の技師を投入して建造された戦艦大和。

大和の砲蓋は18インチ砲にも耐えられるような装甲になっていたそうですが、直撃を喰らっても無傷ということはありえるんでしょうか?

大和は、戦艦同士の砲撃戦の実戦歴がないからなんとも…。
戦艦大和における参考例としては、250kg爆弾の直撃を主砲塔の天蓋に受けたものの、爆弾は跳ね返されて砲塔は
無傷、ついでに主砲塔内の兵員は爆弾の直撃に気付きもしなかった、という実話(?)が残っています。


戦艦大和は4隻造るはずだったそうですが武蔵、信濃の次はなんと言うのですか?

一応、紀伊か飛騨が予定艦名として上がっていました。
ただ、あくまでも予定であって本当にこの艦名になったかは判りません。

(14:眠い人 ◆ikaJHtf2)


大和級は、艦内を移動するにもいちいち甲板を通らないといけないと聞きましたが、それって本当だったら不便じゃないですか?

大和ほどのデカイ船でやる意味があるかどうかは置いといて、水線下に縦横に通る通路がないということは、防御上の利点にはなります。
通路なり電路が隔壁無視して水を通すこともありますから。

船のエンジン部(缶・機関)は大きくて重いので、船体の中央に置きます。
つまり甲板の中央部の真下(すぐ下)はエンジン部に成っているのです。
よって平甲板(フラッシュデッキ)の船で前と後ろ・・・エンジン部を越える・・場合は一度甲板へ出なければなりません。
日本艦艇の場合、巡洋艦以上はシーア付き平甲板のタイプが多かったです。
 日本軍駆逐艦のように、船の前1/4位だけ一段高くなっているタイプがありますね。
あの艦首は船首楼といって艦首の甲板の上に一層くっつけて波を乗り越えやすくしてあるのです。(楼とは楼閣、等建築物の意味)
その船首楼を後方まで伸ばしたタイプを「長船首楼タイプ」といいます。
護衛艦でいわゆる「オランダ坂」が付いているタイプがこれに当てはまります。
このタイプにすると、甲板の上にもう一層あるので、エンジン部の上に前後に移動する通路が作れます。
反面、重量増や舷側が高くなるので横風の影響が大きい等弊害もあります。
 基本的に平甲板は前後の移動時は一旦甲板に出ると思います。
ただ、長船首楼をそのまま艦尾まで伸ばしたタイプ(正確には平甲板タイプではないが)では、通路を作れます。

シーア付き・・・というのは「波型」という意味で、一見まっ平に見える甲板だけど、
船首部分は乾舷を高くして波を越えやすくし、艦尾は低くする手法です。
これにより、船首楼タイプに近い性能を持ち、船首楼タイプより重量を軽く・かつ丈夫に作れます。
船首楼タイプはどうしても段の境目の所に力が集中し易く、其処を十分に補強しなければなりません。
第4艦隊事件で艦首がもがれたのは有名ですね。
反面平甲板は軽くて丈夫ですが、艦首が波につっこむので大変です。
つまり、シーア付き平甲板は、双方の良いとこどりだと言われています。


大和の旗「非理法権天」ってなんて意味ですか?

非理法権天
要するに非<理<法<権<天、ということ
法の上に権を置くところは当時らしいと言うか日本らしいというか

「非理法権天」でしょうか?

非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たずの意味で
楠木正成が掲げていた旗が出所です


46㌢砲の衝撃波ってそんなに凄いんでしょうか?周囲の機銃員が吹き飛ばされたって……

ドイツでもアメリカでも巡洋艦搭載の偵察機が主砲の爆風で火事になったり損害を受けたというのはありました。
8~11インチ程度でこの有様なんで18インチだと...

確か大和級の場合、主砲発射時にはシールドなし高角砲・機銃は使いものにならなかったんじゃないかな?
うろ覚えでスマソ。


大和の注排水システムとかの話を聞いてて、水はどこから注水してるのでしょうか?

実は艦底に吸水口があります。
船では水は何かと入用なので仕方ないんです。


大和の副砲の射撃管制はどこでおこなうのですか?

副砲用の方位盤が有ります。艦橋周りを良く観察して見てください。


大和には救命ボートがほとんど見当たりません。これは中に格納してるんですか?

格納してます。
46センチ砲の爆風があまりにすさまじく、よほどしっかり固定されてるもの以外はみな吹き飛ばしてしまうので
普通露天においておくものの多くを、甲板の下に倉庫を用意してそちらに入れてあったようです。


戦艦大和は海中に没したがその建造技術はなにか革新的な技術があったのですか?

6万4000トンもの巨艦をわずか4年ちょっとで完成させるって事業は、
実際にやってみたことで蓄積されたノウハウは半端なものじゃないと思う。
つまり、4万トンちょいのビスマルクが5年強、4万5000トンのアイオワが3年半で完成したってのを考えるなら、
当時の日本の技術の底上げにどれほど役に立ったか。建造行程の管理だけでも、大変なものだろう。


大和級とビスマルク級の防御力がほぼ同等って本当?

まったく性格の違う艦並べて比較する時点で狂ってるのに、同じ防御力ってアホか。
大和は走攻防全てに優れた究極の戦艦。
アイオワは強力な攻撃力と防御力を持った究極の巡洋戦艦。
ビスは近接戦闘と現存艦隊主義の申し子。
それぞれに建造目的があり、それぞれに特徴があり、比較しても意味無いよ。


大和がろくに戦闘に参加せず「冷房」がついていることから大和ホテルといわれていた、というような記述を見たような記憶があるのですが、この場合の冷房とは今で言うエアコンのようなものと考えてよいのでしょうか?

フッ素系冷媒による冷房機(現在で言うクーラー)は大戦前から開発されて
いまして、昭和10年には南海電鉄の特別車に搭載されています。
この機械は大阪金属工業(現在のダイキン工業)が実用化しており、特に潜水艦に搭載されていました。
(時代は下りますが陸軍のマル輸艇にすら搭載されています。)


keosoは何を意味する

戦艦大和はよく「大和ホテル」と揶揄されますが、実際どの程度の内装、設備があったんですか?

兵員の居住性について言えば、旧海軍では当り前のハンモックではなく、
乗員全員にベッドが確保されておりました。
また、弾薬庫の冷却のために冷水を循環させる"冷房"がありましたが、
これの余剰分を居住区に回しております。

つまり、現在の海上自衛隊護衛艦の水準とお考え下さい。


戦艦大和で、後部サイドの穴は何の為にあるのでしょう?

短艇や内火艇を出し入れするための穴です。
艦上に置いておくと、主砲発射の衝撃で壊れますので。

(42:眠い人 ◆ikaJHtf2)


大和とか武蔵とかみたいな戦艦だったらハーブーンの一撃に耐えられそうですか?

以前、そのへんというか大和(WW2)とアーレーバーク級駆逐艦(現代)で
戦わせる考察やっていたスレがあったんだが(まだあるかな?)
装甲強度と、ミサイルの破壊威力を精密に計算して見た結果としては
側面なら耐えれるかもしれないが、上面トップアタックでSSMがダイブしてきた場合、
装甲を破られる可能性があるとのこと
それでも、1発では沈まない可能性はあるが、2発3発とくらうと、沈まないまでも
戦闘不能になって海域を離脱せざるを得なくなるだろうって言われていた

あとは、「どこに命中するか」と「被弾した大和がどこまでダメコンできるか」
によるのでなんとも言えない
艦橋に命中するとか弾薬庫に命中するとか機関室に命中するとか
致命的部位に命中したら、1発でも終わるかもしれないし、そうでないかもしれない

とりあえず、どんな装甲であろうとも、耐えられる限界以上の破壊を受ければ破壊されるわけで、
現代のSSMをくらって無事ですむ、なんて事は無いだろうということだけは確か



大和級一隻分の資材で飛龍が4隻もつくれたというのは本当?

大和型戦艦:基準排水量65000t
空母飛龍 :基準排水量17300t

だから、ごく単純に計算するなら大和は飛龍の約4隻分の鉄を使ってることになる。

ただし、当時の日本の大型艦船用建造ドックの数からすると、大和型戦艦の建造を
全部取りやめても、大和型1:飛龍型4の比数では建造できない。

突然今の電気機器を戦艦大和に持ち込んだら作動します?PCとか

戦艦大和(に限らず大戦中の日本戦艦)の艦内配電は直流225ボルトです。
したがって、家庭用の電気機器を持ち込むなら100Vに変圧するトランスが要ります。
なお、戦艦大和の総発電容量は発電機8基で4,800kWになります。

(535:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

加えて
家庭用電気製品は交流100V仕様ですので、直流交流変換器(インバーター)で交流に変換した後、変圧器で100Vまで降圧する必要があります。

武蔵の建造は大和の約二倍の日数もかかっていますがなぜでしょうか

大和と武蔵は同型艦なのに呉工廠で建造された大和と三菱長崎造船所で建造された武蔵で、
総工日数を見ると武蔵は大和の約二倍の日数もかかっています。三菱長崎は建造技術では民間最高とまで
いわれていたらしいですし艦載砲の数が違うといってもそれだけで二倍もの日数の差がつくとは思えません

工程管理などの生産管理の手法が武蔵と大和では全く異なり、大和の方が相当効率的に建造されたからです。

(540:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)

呉工廠の担当士官だった西島亮二少佐が作業管理を科学的に行ったからというのが、言われている。
予定の工期よりも半年早く竣工した。
西島少佐は生産合理化の私的研究会に参加してた人で、米国フォード社を参考にしてたらしい。
データ管理にグラフを多用しており、そのグラフは「西島カーブ」なんて呼ばれたそうな。
ほかに、武蔵のほうは途中で設計変更が入ったりしたという事情もある。
詳しくは前間孝則「戦艦大和誕生」(講談社)を参照。

戦艦大和等がその主砲を撃った時,砲声はすさまじいものでしょうが,その砲声は,艦内ではどの程度聞こえるものでしょうか?

 音は,艦内にさえいれば大したことはなかったようです.

 大和,武蔵の元乗組員による回想では……

 主砲発車前にデッキにブザーが鳴ります.
 これによって露天の配置にいる乗組員は艦内に待避し,爆音と爆風を避けます.
 しかし,ブザーが鳴るというのは,主砲の発砲が指揮所による統制下にある場合のみで,武蔵が主砲指揮所をやられ,各砲がめいめい勝手に発砲したことがありました.当然,ブザーは鳴らなかった.
 そのときデッキにいた乗組員は,あるものは鼓膜が破れ,爆風でなぎ倒され,最悪吹き飛ばされて海中に落ちた者もいたそうです.
 音のすさまじさよりも,爆風による被害が大きかった.即座に主砲発砲を停止しました.

 これを逆に言えば,艦内にいればこれらの被害には遭わなかった,ということでしょう.
 ただし,艦橋などの開口部の多い配置の場合,何らかの対策をしなければならないでしょうが,これについては寡聞にして分かりません.
 戦艦長門の実例では,艦橋トップに露天状態で人がいた場合,どうなるか実験したことがあります(将校による志願).
 このときは着ていたカッパが爆風で引きちぎれましたが,鼓膜などは大丈夫でした.もう二度と同じ事はしなかったようですが.

 音より,問題は爆風だったようです.以下は『戦艦入門』(光人社刊,佐藤和正著)よりの引用.
「戦艦の巨大な主砲を発砲すると,砲口から伝わる爆風は想像以上のものである.
 もし物陰にかくれていないで直接この爆風を体に受けると内蔵はおしつぶされ,体は空中にふきとばされて即死するほどである.
(中略)
 爆風の威力はたとえば,人間の意識が一時もうろうとなるときは,一平方cmあたり1.16kgの圧力がかかった場合である.
 ところが,46cm砲一門を発射したときの圧力は5m離れたところで一平方cmあたり10kgの圧力がかかる.三連装で斉射すると20kgになる.
 これでは人間はおろか,カッターや飛行機など,艦上に搭載されたものは全て破壊されて,あとかもなく飛び散ってしまう.
 爆風の圧力に対して,人間が耐えられるのは,一平方cmにかかる圧力が0.5kg以下の場合である.
 この数値にたっする距離まで避難していれば無事だが,46cm砲の単装発射でさえ,砲口から50m離れていなければならない.三連装の一斉射撃では77.5mを要する.
 つまり「大和」型戦艦の艦上では,爆風が全艦を覆い,これから逃げる場所はないということになる」


戦艦大和は建造を秘密にされていたの?

 あんな巨大ものの存在を秘密に出来るはずはありません。

 実際、呉の住宅街(山の手)から艤装岸壁で艤装中の大和を見ることが出来ました。
 その年に刊行されたジェーン年鑑にも,「日本の新型戦艦」という記事があります。

 海軍の欺瞞工作は存在を欺瞞するのではなく、スペックを欺瞞するためのものです.

(軍事板)


大和沖縄特攻時の武装を見て思ったんだが,ヤバイ対空砲の数だね.あの大量の対空砲は対空レーダー+FCSで運用されてなかったの?

 電探(レーダー)はあるけど,対空砲と連動はしていない.
 敵機自体は襲来の一時間以上前に探知してるけど.

 統制射撃自体は行なわれている.
 機銃射撃指揮装置が標的を捕捉すると,その旋回/俯仰角が電気的に検出され,電路を通じて各砲・銃座の指示装置の指針を動かす.
 砲・銃座の旋回手と射手はこの表示に従って旋回・俯仰を行なう.
 これによって,一基の指揮装置に対して機銃座数基を一群として,統制射撃を行なう事になっていた.
 しかし末期には指揮装置が不足し,沖縄特攻時の「大和」に増設された機銃座の大半は,無統制の状態だったらしい.

 更にいうなら,この統制装置は光学測距式なので,充分な数があっても,レーダーによるそれとは比べ物にならなかっただろう.


監察医になる方法

 当日,雲底がひくく視界が不良だった為,発見から射撃までの時間が短く,効率よい迎撃ができなかったというのもあるが.

ザイドリッツは前甲板が水没したままでも回航できましたが、どうして武蔵はできなかったんですか?

左舷への傾斜が酷かったのと、艦前部が浸水して満水となり浮力を確保できなくなったため。
ザイドリッツは艦前部に大浸水してその浸水量は5300トンに達しましたが、
艦首部最上甲板は被弾にもかかわらず浸水を免れたためかろうじて浮力を確保できました。
これに対し武蔵は艦前部が沈み一番砲塔が波に洗われるほどであり、浸水による
傾斜を復旧する見込みはまったくありませんでした。
そしてさらに浸水により機関が停止したため総員退去命令が発せられ、そのすぐあとに
左舷に転覆し沈没しています。
また浸水量自体もザイドリッツとは桁違いだったようです。

なお、ザイドリッツと同様の被害を被ったドイツ巡戦リュッツォウは艦前部が浸水で水没したために
行動不能と判断されて味方の魚雷で処分されています。

(543:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

大和、武蔵は速力が非常に中途半端で、艦隊行動に使いづらかったとのことですが、あとから改造して速力を上げるのは不可能だったんですか?

そら可能だけど
機関部の全とっかえになるから1年やそこらの工期じゃ終わらないよ。
大和は「不具合が出て機関交換になったら手間がかかってかなわない」ということで
出力を抑えめに設定した。
つまりすっごく安全側に設計したんだよ。
だからもうちょっと無理してれば30ノット弱くらいの戦艦に仕立てることは出来た。

大和の機関は二世代も前の、初春型駆逐艦用機関のデチューンモデルが基礎になってます。
信頼性を求めて敢えて旧式モデルを、しかも安全側に改造したモデルですから
より新しい機関を採用する決断一つあれば高速を得るのはさして難しいことではありませんでした。

(551:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

戦艦大和にラムネ工場があったそうですが、乗務員は無料で何本でも飲むことが出来たのですか?

ラムネ工場ではなくラムネ製造機があり機械分隊がそれをつかって1日数百本のラムネを造った
それらは酒保で1本3銭でケース単位で売られていた

大和の水上特攻って、始める前からあぼーんだってわかっていたんですよね?

それなのに、なんで作戦が実行に移されたんですか?

まずあれは特攻ではない。
燃料は備蓄に余裕の無いなか本土と沖縄を何往復もできるだけの量を積んでいたし
上陸した際に備えて軍資金まで用意していた。
海軍は必ず沈むとは考えていなかった。

もちろん敵艦載機の攻撃を受ければ戦闘機の直援のない戦艦はひとたまりもないのはわかっていたが
当時の艦載機は基本的に雨天や夜間には作戦できないという欠点もあって
大和の出撃は梅雨時の天候不順な時期を見計らって行われている。
危険な昼間は雨天で空襲を交わし、あとは夜間を利用して目的地にまで到着するといった計画。
同じように雨天を狙って航空機をかわす作戦はドイツがラインの守り作戦でやっている。
実際に大和が沈んだ日に前後して同じ海域で雨が降っていた記録もあり、
運が良ければ沖縄まで辿り着けた可能性も0ではなかった。

そして呉空襲など米軍機による基地空襲が活発化していた時期でもあり
何もせずただ軍港に引篭もっていても沈められた可能性があった点にも留意するべき。
いずれにせよ何もしなければ運がよくてもドイツ大海艦隊の一斉自沈のような結果になるわけで
それなら見込みは薄くとも大きな戦果をあげる可能性のある作戦に投入したほうがマシという判断もできる。

そもそも上層部には、燃料を最初からそれだけの量を積ませる予定なんてなかった。
「湾内に碇泊し徒らに敵機の襲撃を待つより、日本海軍の名誉にかけその最後を飾らしむる為
軍艦大和を沖縄に突入せしむる作戦がG・F(聯合艦隊)首脳部にて立案され、軍令部と協議せらる。
軍令部は現在国内の燃料貯油極度に減少し、物資輸送の船舶の護衛艦の燃料も充分と云い難き状況にある。
又敵の制空圏下の艦隊行動はたとえ沖縄に突入し得たりとするもその生還は期し難い,強いて本作戦を行う
場合に於ても燃料は片道分しか渡せないとの強硬意見である。早速GFに於いては、作戦会議を開かれ
本作戦実施の可否につき真剣なる討議が行なわれる。若手参謀の多くは「本作戦の成果等に関する論議は暫く措くと
しても,たとえ生還の算少なしとは云え燃料を片道しか与えないとは武人の情に非ず、
とて反対意見を述べたるもGF首脳部は本作戦決行に決す。(機関参謀・小林儀作大佐)
で、結局は現場の方の責任で、で帳簿外重油(重油タンクの底にある、メーターに表れない、
存在し無いことになってる分)をかき集めて「緊急搭載で積み過ぎた余分を
油パージに吸い取ろうとしたが出撃に間に合わずその儘にした」という言い訳で、往復分搭載したというのが真実だそうな。
余談だが「片道燃料ではなかった」というのは、40年くらい昔の子供向けの書籍(秋田書店・刊写真で見る太平洋戦争シリーズ
『大和と武蔵』)にすら明記されているくらいの常識。

『軍艦武蔵』手塚正巳著に、25ミリ機銃の従動照準装置なるものがでてきますが、これで3基の25ミリ3連装機銃を統制射撃していたのでしょうか?

合計9門の統制射撃だとすると敵機にとっては相当な脅威になると考えます。故障が多かったそうですが、実際有効だったのですか?

25mm機銃の三連装タイプは銃座の旋回と銃の上げ下げを別々の人間に操作させていたので、
目標指示に対する指揮官と操作員の思い違いなどから操作性に難があった。
このため、実際は全て一人で操作する単装の方が効果があったと言う(歴史群像シリーズより)。

あまり動かさずにひたすら担当エリアとしてあてがわれた空域のみ射つ分には弾量がものをいい
ために三連装を重宝する意見もあります。
というか単装と三連装どちらを重視するかは個々の艦長の意向がかなり反映されているようで
同型艦ですら装備状況には相当な差があります。
光人社「写真 日本の軍艦」などを見ればわかりますが
金剛と榛名の装備状況の違いはその顕著な代表例です。

(571:ゆうかin職場 ◆u8WC078ef5ch)

「大和」「扶桑」など、自国の旧国名を与えられた艦は、特別に期待された艦だったという事はありますか?

特別も何も、戦艦はその時代の国力の象徴だから期待しないほうがおかしい。
ネーミングについては、丁度先代が除籍してたまたまその名前が空いていたからじゃないかなと

大和なんかの三連装砲は別段中央の砲と左右端の砲との間に間隔の差がある様にも見えないのですが、どういう構造になっていたのでしょうか?

『戦艦「大和」の建造』(御田重宝著)には、

「三連装砲塔にすることは艦本第一部は早くからだいたい決めていて、
担当の斎尾は尾栓は三門とも右開きにする計画を持っていた。
すると呉の砲こう部から右と中央の砲は右開き、左側の砲の尾栓は
左開きにするよう承諾願が艦本に送られてきた。
同一形式のものは同一操作が原則なので承諾しないで呉に突っ返す
と再三承諾願を送ってきて納得しない。
呉に行って質すと、
「全門右開きの尾栓をつけると、砲身間隔が広くなり、砲塔の目方が70
トン以上増加する」とのこと。なるほど調べてみるとその通りだった。
結果、呉案が承認されて右、中央の砲は右開き、左側の砲の尾栓は左
開きになった」

とある。


どのように多くの州では公共の場所での喫煙を禁止している

戦艦大和の主砲は最終的に発射するときはどんな操作(銃でいうところの引き金をひく所です)で発砲したんでしょうか

艦橋トップにがあり、そこにいる射撃指揮所方位盤射手が
引き金を引くことで、戦艦の主砲は一斉射撃されます。
発射までのプロセスのご興味がおありでしたら

このへんか
あとは学研の歴史群像の2000年10月号をご参考ください。

戦艦大和などの模型を見ていたら無数の張り線が走ってますが、実際の艦船で誤って自分の弾で撃ってしまうことはないのでしょうか?

普通にある
どっちみち消耗品なんだもの
後で張り替えればいいだけ

その張り線、人体に直撃したら危ないよね

船というものは本来危険が一杯。
張線に当たるようでは一人前の船乗りとはいえない。

いや、本当にそうでね。
波の高い日、岸壁に係留している船の親綱が急に張って、
それに弾き飛ばされて3人重症を負った現場に居たことがあるよ

大艦巨砲、時代遅れと思われがちな大和や武蔵ですが、当事の軍事の情勢を考えた場合100%間違っていたと判断しきれるでしょうか?

いろいろ読む限り空母(航空兵力)の重要性もそれなりに認識していたように思えるんですが。

着工のタイミングから考えると戦艦を建造しうること自体は間違っていない。
ただ、仮想敵のアメリカの新戦艦の速力を低めに想定して、速力を27ノットに抑えた判断には
疑問の余地があり、空母機動部隊との共同行動を難しく(不可能ではないです)したのは
問題だといえる。

では、タイミングとしてはどんな目的があったんですか?
竣工の時点でも戦艦VS戦艦が十分行われていると考えていたんですか?
巨大戦艦をもってなにをしたかったのでしょうか?

米戦艦を、(こちらがなるべく被害を受けないう)遠距離から撃沈すること。
ただ、相手との間合いを取るためにもそれなりの高速力が必要なはずなんですが、
米新戦艦の速力を25ノット程度と見積もり、それに翻弄されないために27ノットの速力、
というのはどうだったか、というのが先ほどのレスと関係してくるところ。
それまでの米戦艦の速力は列強でも低い方だったので、的はずれとも言えないのだが、
各国とも戦艦の速力は急速に向上しつつあったので、評価が難しい。

なお、当時の想定では航空母艦は相手の空母を攻撃して制空権を確保し、
戦艦の観測機の安全を確保したり、戦艦以外の補助艦の戦力を削ぐことを任務としていました。
これは、停泊中でなく、航行中の戦艦を航空機のみで撃沈することは困難であると考えられていたから。

実際、戦力にかなり差があって、多数の攻撃隊が攻撃を仕掛けないと、
航空機による戦艦の撃沈は難しいです。大和や武蔵はほとんどエアカバーがない中を
無理に作戦を続け一方的に叩かれた、ちょっと異質な例であったりする。

大和の25mm機銃は人力旋回なのでしょうか?

人力です。ちなみに同時期にアメリカで採用していた、ボフォース40mm機銃も
人力で旋回します。


ボフォースの単装は人力だったかと。

「男たちの大和」では各々勝手に狙っているようでしたけど、米軍みたいに艦橋の中の人が対空砲群を統制して運用ということはしなかったのでしょうか?

「軍艦メカ開発物語」(光人社刊 深田正雄著)の「機銃射撃装置」の項を見てみたら、

「この装置の構成は、双眼望遠鏡をそなえた照準装置一基と、二五ミリ二連装または三連装
機銃二ないし四基を一組とし、一人の射手が照準装置にのって望遠鏡をのぞきながら、一本
のハンドルで、自分ののった照準機と全部の機銃座をいっせいに旋回俯仰させ、引き金を
ひけば全機銃が同時に発射できるというもので、銃側では弾薬を補給するだけであった」

って書いてあったわ。

アメリカは大和級戦艦の主砲を、戦後までアイオワ級と同じ40cm・9門と見ていたんでしょうか?

機密保持が厳しくて、アメリカ海軍は、大和型の主砲の口径を知りませんでした。

大和の46センチ砲は、乗員でさえ、本当の口径を知りませんでした。
一般的には、40センチと称していました。
しかし、実際にはそれより大きいことを、殆どの乗員は知っていました。
ところが、実際に口径は知らされていなかったのです。
大和と武蔵で勤務した者がアメリカ軍の捕虜になりました。
40センチよりは大きいが、本当の口径は知らないと供述しています。

参考図書。
戦艦大和 (講談社選書メチエ) (単行本)
平間 洋一 (編集)

(594:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)

沖縄特攻時の大和に護衛機をつけることは無理だったのですか?

当日は天一号と平行して菊水一号作戦が実施されおり、戦闘機の大部分は
そちらに参加しています。
五航艦の当時の戦闘機の可動機数は百数機まで低下しており、そのうち二十数機が
大和護衛に参加しています。

戦艦大和の全主砲を右に向けて一斉射撃をすると、船体は左に傾きますか?

傾きます。それでなくとも船体は波にもまれて常に動揺しているので、砲身が同じ角度になるよう調整可能な範囲では常に微調整し、
 それが不可能な場合は電路が繋がらずそもそも発砲不可能なようになってます(所定の角度になったところで発射)

アメリカは大和級の主砲を、を戦後になるまで「40cm砲・9門」という情報を信じていたわけですから「大和級はアイオワ級で十分に対抗できる戦艦であり、たいした脅威ではない」という認識していたんでしょうか?

アイオワと同格の戦艦というのは十分過ぎるほど脅威だけど?
4万トン超、16インチ砲9門、30ノットの高速戦艦と思っていたのだから
ノースカロライナやサウスダコタではかなりの不利ということになる。
それを4隻だか5隻だか揃えようとしていたのだからね。

アメリカ海軍が一番脅威に考えてたのは実は金剛型。
アメリカの戦艦はどれも足が遅い(その分装甲厚いけど)ので、
金剛型の快速は脅威とされていた。
アイオワ級も一番の目的は金剛型の快速性に対抗するためだ。

ヤマト級は、とにかく装甲防御を重視した戦艦だろうと考えられて
いたが、想定される速力が30ktを超えることはまず絶対無いだろうと
考えられ、「艦隊決戦になったら脅威だろうなぁ」という程度の扱い。
大体サウスダコタ級(実際に作ったほうね)と同程度、ただ装甲は
もう少し厚いだろうな・・・と分析されている。

大和の副砲塔から発生した火災は、沈没にどのような影響を与えたんでしょうか?

大和の特攻の際の写真をみると、第一次攻撃で後部副砲塔に受けた爆撃で火災が発生しているのがわかり、
最後まで消火されていないのですが、

致命的な一撃にはなっていないと思われ。
一般的に有力視されてる沈没原因は、船体に被害を受けすぎて転覆。その際に水蒸気爆発を起こして
一気に大爆発に到った・・・・とされている。

しかし、副砲の被害が拡大しそれが弾薬庫誘爆の原因となった。と、する説もある。
何分、確かめようがないだけに、完全に副砲が原因ではない。とも言い切れない。

が、状況から見るに一般説がやはり有力かと思われ。
戦艦スレでも荒れやすい話材の一つでもある。

伊勢は航空機をあれだけ多撃墜しているのになぜ大和は数機の航空機しか撃墜できなかったんでしょうか

原勝洋氏の「真相 戦艦大和の最後」にデータがあったはずだけど、撃墜数は少なくても被弾した機体は多く、米軍も評価していた。
アジ歴の大和の戦闘詳報には、25粍機銃の射撃管制システムが新しいものになって、それが効果あったと書いてあります。
なんにせよ、条件も色々異なりますので、そもそも差があったのか?というところから検証することが必要かもしれません。


大和は沖縄の浅瀬で砲弾を撃ち尽くした後は乗員全員で陸戦隊となって米兵と戦闘するそうですがその際の武器装備の類は艦内に用意してあったのでしょうか?

それとも沖縄守備隊から提供される計画だったのですか?

元々戦艦初め軍艦には艦内から陸戦隊を臨時に編成するためにある程度の陸戦装備は
積んであるけどね。
大和出撃の際はほぼ乗組員全員分用意して艦内に積み込んで出撃した。

ちなみに、ソロモン戦の時に比叡と霧島にガ島砲撃を命じた際、戦隊司令部の側が
陸上砲撃を渋るので、「これは命令」って」強要したら、
「そこまで言われるのであれば座礁したら乗組員全員陸兵となって闘う覚悟で出撃しましょう。
 ひいては、全員分の陸戦装備を用意していただきたい! それでなければ部下にこのような
 危険な命令は出せません!」
とキレられて、仕方ないので戦艦2隻分の乗組員の陸戦装備を集めてくるのに手間がかかり、
出撃のスケジュールが遅れた、というエピソードがあったり。

大和、武蔵は実戦で観測機、偵察機をカタパルト射出した記録ってあるんですか?

レイテ沖海戦(10/25のサマール沖海戦)で大和が観測機3機を射出している。

以下「戦史叢書 海軍捷号作戦,<2>フィリピン沖海戦」から引用。

1番機(機長:今泉馨中尉)
 0814 敵艦隊の状況を確認するため発進 
 0820 「米空母1隻が大火災中」とを報告
 0821 「敵は南東方向に避退しつつあり」と報告
 0827 「米戦闘機の追撃を受け、触接が保てなくなった」と報告し、連絡途絶
 0850 「敵戦闘機の追躡を受けつつあり」と報告し、再び連絡途絶
 0930 「50海里圏内を捜索するも敵を見ず、我れ基地に向かう」と報告し、サンホセ基地に向かう

2番機(機長:安田親文兵曹長)
 0851 1番機の連絡が途絶したため発進
 0855 「敵見ゆ、味方主力よりの方位150度、空母2、巡洋艦3、進路南東」と報告
 0910 米戦闘機の追躡と攻撃を受け、被弾のため操縦不自由となる
 0930 「被弾のため操縦不自由、基地に向かう」と報告し、サンホセ基地へ向かう
 1240 サンホセ基地着

続き

3番機(機長:内田中尉)大和搭載中の長門機
 1145 サマール島北東海面の敵艦隊捜索とその終了後レイテ湾偵察のため発進
    (サマール島北東海面に敵を発見せず、反転してレイテ湾に向かう)
 1230 「レイテ湾内に輸送船約30隻が在泊中」と報告後、敵の通信妨害により連絡途絶
    → 大和は1320に受信(その時は、すでにレイテ湾突入を中止して北方に向かっていた)
 1410 セブに着水、サンホセ基地に向かう

ちなみに第1遊撃部隊はシブヤン海で空襲を受ける前に大和の3機を残して、搭載機を全て
サンホセに移動させています。

大和や武蔵の存在は当時の国民に秘密だったそうですが、それはどの程度のものだったんでしょうか?

存在そのものは秘密じゃありませんでした。
瀬戸内海の漁師達や呉市民などは良く知っています。
(艤装中の大和は呉市街から丸見えでした)
積極的な報道が無かったので、他の地方の一般市民は知らなかったようです。

海軍が行ったのは、存在の秘匿ではなくスペックの秘匿(排水量を小さくしたり、
主砲の口径を40㎝と誤魔化したり)です。

呉付近に列車が通りかかると、よろい戸を閉めさせられる
ドックの手前に視界を遮断する様、わざとデカイ建物建てたり
当然工員には箝口令。そんな所

蛇足ですが、建造時は、ドッグの上に上屋を設けて周囲をトタン板で覆い、
クレーンの上から網を簾のようにつるして海上から見えないように、更に防諜対策も強化され
ました。

それでも、1936年4月に港内撮影禁止の咎で、検挙が数名出ていることを地方紙が報じてい
ますから、何か建造しているのは一般市民に分かっていたと思います。
また、呉線の急行列車に憲兵が、周辺の山々に特別憲兵隊が配置されています。

1936年5月には、防諜の重要性に関する講演会の開催、海軍、憲兵隊、呉警察、市役所、郵
便局、呉検事局による軍事防諜団が結成されています。
1937年には、住民に呼びかけ、小学校から防諜団を結成したり、芸妓も花園防諜団を結成して
市民総出で、防諜に関する啓蒙活動を行っていました。

こうした活動をしているので、「工廠で不沈戦艦を造っている」とか、「とてつもない戦艦を建造
している」と言う噂は市民レベルにも浸透していますが、前記のような防諜活動の徹底によって、
自分たちはどこまで口にして良いのか、どこから口にするとやばいのか、と言う規範が出来てお
り、建造しているぞ、以上の話は余所でしない様になっています。

(304:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦艦武蔵は航空隊の攻撃終了後、沈没までかなりの時間が残されていましたが、復旧作業はどういう風に行われたんでしょうか?

傾斜を戻すために、重量物は勿論、死体までもを反対側に動かしました。
浸水を止めるために隔壁を補強しましたが、水圧が隔壁を次々とぶち破りました。
排水ポンプも使用されましたが、浸水の方がポンプの排水能力をはるかに上回り
ました。
コロンへの回航を諦め、最終的な手段としてルソン島に乗り上げようとしましたが、
舵が主舵、補助舵の両方を破壊されていた為、人力操舵を試みましたが失敗し、
浸水も止まらない為、終には総員退艦が指示されました。

大和の主砲の砲身って強度を上げるためにワイヤーが巻いてあるって聞いたんですが、そんな事で強度が上がるんでしょうか?

鋼線式砲身って言って、内筒の部分に強い張力を掛けたワイヤーを巻き、そこに外筒を被せる複層式の砲身工法。
ワイヤーの内側に向かう力が砲撃時の腔圧を打ち消す形になるので、単純に砲身を厚くするより砲身強度を高めることができる。
大和の主砲はこの工法に加えて同じ効力を持つ焼嵌式砲身の併用で作られている。
現代だと大口径砲が廃れており、かつ自緊砲の方が量産性の面で優れているから殆ど廃れた工法だね。

何故、帝国海軍は大和型戦艦を積極的に前線で活躍させなかったのでしょうか?

普通、戦艦に限らず、日本海軍の軍艦の運用は2隻単位です。
大和の竣工から慣熟訓練、武蔵の竣工から慣熟までに可成りの間が空きます。
でもって、慣熟してとりあえず2隻をまともに動かすことが出来るようになるまでに、既に制空権は取られています。
更に、2隻を動かす燃料で、他の艦がどれだけ動かすことができるかを考えてみましょう。

また、大和型は米国の新型戦艦に対応するもので、量より質を取った結果です。
戦闘による損失は、そのバランスを崩すことになりますので、十分に有効な状況でない限り、大和型は投入出来ません。
なんてことを考えていたら、ふと気がつくと、まともに投入できることが無いことに気がつくわけです。

(295:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

戦艦大和は装甲が厚いのに、魚雷を弾き返せなかったんでしょうか?

信管の感度によっては弾ける可能性も無くは無い罠>弾き返す
そもそも水雷防御ってのは装甲で弾くのではなく衝撃を如何に減らすかって物だから装甲厚とかはあんま関係ない。
大和型だとバルジを設けて燃料を入れといて衝撃を低減する方法、米新型戦艦であれば幾らか層を設けて防水剤を入れるとか。
もちろん被雷後の戦闘能力維持ってのも重要。
ちなみに言えば大和型の舷側装甲が艦底まで届いているのは水中弾対策。
米新型戦艦も水中弾対策で艦底付近まで装甲が配置されている。

更に言えば大和型は敵の魚雷の炸薬量200kgとして炸薬300kgに対応するように設計された。
ちなみに44年より配備されていた航空魚雷Mark21は炸薬量159 kg、トルペックスだからTNT換算で1.5倍の240kg程度。
同じく44年より配備された潜水艦用のMark16の炸薬量は428kg、これもトルペックスだから(つД`)



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