2012年5月18日金曜日

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2012年5月17日木曜日

2010年12月のブログ Story M Land /ウェブリブログ


タイトル 日 時
寒い
和歌山県岩出市は3度でございます。 ...続きを見る

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2010/12/31 12:21
Wikipedia丸写しシリーズ
ジョン・ウィリアム・ローガン(John William "Bud" Rogan、1868年頃 - 1905年)は、医学的に確証がある身長8フィート(約2.44m)以上に成長した12人のうちの1人である。死亡時の身長は、8フィート9インチ(約2.67m)[1]だった。 目次 1生涯 2脚注 3関連項目 4外部リンク [編集]生涯 ローガンは1865年から1868年の間に、テネシー州サムナー郡(en:Sumner County, Tennessee)で誕生した。彼の成長が急... ...続きを見る

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2010/12/30 23:21
起きた
起きたぞ〜 ...続きを見る

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2010/12/30 09:27
もう
もう正月の香りがほのかに香ります。 ...続きを見る

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2012年5月15日火曜日

精神異常者からの嫌がらせを受けて


日記から公的に出せるよう内容を抜粋しました

(2002年8月から)
毎日、物音が無い状態でも障子、窓、網戸をバンバンやっている。
家族が居てもやり、家族もそれを止める気配すらない。

こちらが無視しているからか、日々事激しくなっている。

フェンス越しに我が家のカーポートの柱を蹴り、屋根がゆがむ、大切な車が有るから、これは止めて欲しい。

 

8月13日

フェンス越しにカーポートの屋根をバットで叩く事を繰り返す。樹脂の屋根が割れそう。
8月中

・精神科医のH先生のアドバイスによる法律で閉ざされた窓が開く気分で、A保健所に措置入院の申請(23条)をする。

Tさん、Nさんに丁重に対応していただいた。

・大家さんにお願いし、破損寸前のカーポートの屋根を助けるためにトタン板のフェンスを交換してもらう。

・大家さんとH上派出所の警官との話し合いが持たれた。

 

8月末

・心身の障害や診断書で被害届を出したいとF警察に行くが、W刑事は形の無い事、相手が精神障害だと被害届けは出せない。ストーカーも精神が正常ならしないのでは?

・A保健所のHさんとOさんが措置入院の申請記入漏れが有ったと来る。 

フェンスを蹴る騒音を一緒に聞きながら記入、

書式が記入内容と合わず困る。

・あまりの酷さに110番をする。

F警察署から3人の警官が来たがお手上げで、防犯課と交代し私服警官3人、H派出所警官で奥さんと話し合いに、

と言う事になったが話しにならず全員お手上げ。

その夜防犯係りが旦那さんを呼んだ。

翌日防犯係りに電話で内容を聞くと、旦那さんは引っ越すつもりではいるので我慢して。

・我慢のストレス

騒音の酷さに母親が不調になり家族で部屋を移動したが、家族全員が我慢にストレスが重なり、特に部屋を移動した娘の精神状態が不安定になり、部屋を戻し生活基盤を立て直す。

F派出所に相談

警察に「我慢して」と言われ続けた状態だっただけに

「直接電話ください、我慢しなくていいです」と言われ

思い詰めた気持ちがものすごく楽になった。

・K町内会

町内会のT役員さんに事情を説明した結果、後日の役員会で相談してみてくれる事になった。

後日、TさんとT会長から電話があり、結果的に町内会としては・・・・。結果はわかっていましたが、相談してもらった事に感謝。

 

9月

トタン板のフェンスを蹴る、バットで殴るで朝5時前後から起こされる。(8月に警官を呼んだ恨みで)

次男の怒鳴ってトタン板叩きの騒音、交換して半月のフェンスがボロボロ、カーポートや車が壊されそうで、車庫を借り、車を預ける、大事な車が無事になり少し安心。

でも、我が家の状況がいつまでもつか心配。

・A野市役所

2012年5月14日月曜日

陪審員と英語の問題|『幻の旅路』大湾節子のブログ


2012年1月23日—24日
トーランス(Torrance)の裁判所の法廷で。

「いままで説明していたことが分かりましたか?」
「はい。裁判の判断基準は分かります。
一つでも疑わしき事実があったら、被告人は無罪ということですね。(*注1)
それに、偏見や直感に基づいて判断してはいけないということですね」

1月。2回目の陪審員サービスの通知が届いた。
前回は、待合室で説明を聞いて、大分待たされてから、その日呼び出されたメンバーは全員、免除された(excuse)。
今回もそうかと思って出掛けていったら、私はpotential陪審員として残された。
午後から法廷に出て、今回の事件を説明される。

刑事裁判。
放火事件。
被告人は30代のアフリカ系アメリカ人男性(African American)。
検察官(prosecutor)は小柄な白人女性。
被告人の弁護人(attorney)は大柄な白人女性。

裁判官、検察官、弁護人が一人ひとりのpotential陪審員に質問をする。
陪審席に座っているpotential陪審員が一人、また、一人と帰される。
残っている人数が少なくなってきた。
2日目の午後遅く。
とうとう私の番になった。

1日目の午後の質問。

「女子社員が仕事を終わって帰ろうとして、階段を一人下りていたら、後ろから男に突き飛ばされてバックを取られました。
彼女以外、目撃者が一人もいないのですが、被害者が言っていることを信じますか?」

「小さい女の子が一人で留守番をしていました。
お母さんが買物から帰ってきたら、皿の上のクッキーがなくなっていました。
子供の口の周りを見ると、クッキーのカスがついています。
実際、彼女が食べていたのは目撃していませんが、クッキーを食べた犯人はこの子だと断定していいですか?」

2012年5月12日土曜日

インターネットカフェ BiVi仙台店(i-cafe)


失恋した気分。

もう何も考えたくないー

ショックすぎてご飯食べたくないー


そのことばかりで頭がいっぱいー


Biviのブログお久しぶりです。

出勤していなかったわけではありませんが、GWいっそがしすぎてそれどころではありませんでした☆

私は残業しませんでしたが、残業したスタッフお疲れ様です。

そして、多くの方がBivi仙台をご利用いただけたみたいで何よりです♪
楽しんでいただけたでしょうか?^^

私はマック並みにフライポテトを作り、レストラン並みにカルボナーラを作った気がします(^ω^)

まだまだカルボナーラあります!
私もいつも食べてます☆おいしいーですよー!!!!!

で、うっきうきな気分では今日はないんですね。


先日、

2012年5月10日木曜日

生命、自由及び幸福の追求権 |


生命、自由及び幸福の追求権

権利章典は、セキュリティを生きる人の権利を奪うことが不法行為と、生き残るために必要なその他の必需品から国の政府の領土内にある人々を守るために、今日、多くの異なる国に存在しています。文字通り、提案された法案された権利のイギリスのビルからの発信 人々の基本的権利を保護するために1689年に議会で可決した。効果的にそれは常に、それが制限しようとしている政府によって実施される必要があります遊びに権利章典を持っています。

2012年5月8日火曜日

かぼすちゃんとおさんぽ。 : ぞうのエルマー


冷たい雨の土曜日。

1週間働いて、身も心もクタクタのかぼ父さんは、

かぼちゃんの癒しパワーを充電中です。

すっかり癒された父さんは、すやすやお昼寝してしまいました。

居酒屋のバイトから帰宅した2号も、

かぼちゃんの癒しパワーを充電します。

だんだん笑顔が戻ってきました。

2012年5月6日日曜日

人魚(マーメイド)伝説について - Yahoo!知恵袋


prisoner_of_nightmareさん

人魚伝説における人魚の特徴というのは、大体下記の3つに絞れると
思います。

1.人魚は声を出す(歌を歌う、人語を話す)。
2.人魚は食べることができる(食べると不老不死になる場合もある)。
3.人魚は女性の姿をしている者が圧倒的に多い。

ジュゴンが人魚とされたのは、この3つがすべて当てはまったためです。
3については、ジャワなどでは漁師の間でジュゴンを獣姦の対象とする習慣
がありました。漁師の男たちが性的欲求を満たすために行っていたのです。
人魚が通常女性の姿をしているのも、これが原因と考えられました。

2012年5月4日金曜日

ナチス


ナチス

  第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、ヴェルサイユ講和条約1919.6)で、普仏戦争(1870.7〜1871.2)の勝利で得たアルザス・ロレーヌの2州をフランスに、またドイツ系住民の多いポーランド回廊(ドイツ東国境)をポーランドにそれぞれ割譲し、またダンチヒ市(現・グダニスク)は自由市として国際連盟の管理都市となるなど、すべての植民地を失った。またライン川の東の幅50km地帯、いわゆるラインラント非武装化された(1925年締結のロカルノ条約でもラインラントの永久非武装が約束された)。1923年にはドイツの賠償が滞ったのを口実に、フランスやベルギーによって、ドイツの経済の要地であるルール工業地帯が占領された(ルール出兵)。こうして戦� �の列強の体制はドイツの縮小化を徹底した。

 ルール占領後、その間の工場労働者のサボタージュによって生産が止まったにもかかわらず、労働者への賃金の支払いは行われたため、空前の悪性インフレーション(貨幣単位マルクの価値は1兆分の1に下落、つまり物価は1兆倍!!)が爆発的に引き起こされた。

 悪性インフレの最中、今後ドイツの救世主となる国会議員シュトレーゼマン(1878〜1929)が首相に就任した(任1923.8〜11)。当時はドイツのヴァイマル体制(この時のドイツの国名は"ヴァイマル(ワイマール)共和国")に不満が立ちこめて、政府打倒をめざしてミュンヘン一揆(1923.11)などのクーデタが起こり、政治は混乱した。シュトレーゼマンはライスヒバンク(国立銀行)総裁シャハト(1877〜1970)の協力で不換紙幣レンテンマルク(1兆マルク=1レンテンマルク)を発行してインフレを収束させることに成功、首相退任後も外相として外交策に奔走した。シュトレーゼマン外交は協調外交であり、まずルール地帯はアメリカの財政家ドーズ(1865〜1951)の賠償案成立(ドーズ 案。1924)を機に占領が解かれ(ルール解放)、さらにロカルノ条約調印によって国際連盟加入(1926)が実現、常任理事国となり、負債を抱えながらも、ドイツは欧米諸国との協調に向かった。1925年には初代大統領エーベルト(任1922〜1925)の急死で、第一次世界大戦中の国民的英雄・ヒンデンブルク将軍(1847〜1934)が大統領に就任し(任1925〜1934)、ドーズ案に続くヤング案(1929)で賠償問題も緩和され、経済的にも政治的にも安定の方向に向かったかに見えた。

 しかし、列強に経済打撃が走った。1929年の世界経済恐慌である。世界恐慌はアメリカ経済を中心にヨーロッパ諸国・アジア諸国に波及し、当然ドイツも巻き込まれた。ヒンデンブルク大統領は、大統領の特権である非常大権(ヴァイマル憲法48条に規定)を使って緊急条令を発令し、恐慌対策用の少数派内閣を3代任命したが効果はなく、議会機能も低下し、逆にヒンデンブルクの独裁政治が強化された。ローザンヌ会議(1932)で戦後の賠償問題は打ち切りとなったものの、経済を持ち直せなかった。

 1932年、7月に総選挙がおこなわれた。第一党となったのは、230議席を獲得した国家(国民)社会主義ドイツ労働者、通称ナチスである。ヴェルサイユ体制に不満を持ち、また恐慌で苦しんでいるドイツ国民、特に失業者らは、元スパルタクス団から発展した共産党と、官僚化した社会民主党との意見のぶつけ合いに飽き、急速に成長するナチスに期待を持ち始めた。大統領をはじめ、同じ保守勢力である軍部や資本家も出口の見えない恐慌から、共産党の増大化の恐怖があり、現状打破には政財界の大半が支持しているナチスに接近する必要があるとして、ヒンデンブルク大統領は、ナチスの党首であるアドルフ・ヒトラー(1889〜1945)に内閣を任せ、首相に任命した� �任1933.1〜1945)。ヒトラー内閣の誕生である。

 ナチスの前身はドイツ労働者党で、1919年にミュンヘンで設立された。群小の右翼政治団体だったが、9月、ヒトラーが入党してからは、大衆的組織を売りにヴェルサイユ体制の打倒とドイツの共和政府に対する不満を主張しはじめた。1920年に国家(国民)社会主義ドイツ労働者党と改称して、1921年以降はヒトラーが党首であった。同年、党員レーム(1887〜1934)は突撃隊SA)を創設して反対派を暴力で打倒し、党の騒動を受け持った。1922年にはゲーリング(1893〜1946)が入党し、SAの組織に加わった。1923年に起こった前述のミュンヘン一揆は、実はヒトラー、レーム、ゲーリング、ヒムラー(1900〜1945。1919入党)が起こした、ヴァイマル共和体制の転覆をはかったクーデタであり、この一揆は失敗したが� ��ヒトラーは獄中でナチスの聖典『わが闘争』を執筆し、出獄(1924)後は全体主義的大衆運動を一段と強化した。1925年には『わが闘争・上巻』を発刊し、その個性的風貌と巧みな弁舌による演説によって支持率を上げ、また同年SAの中から親衛隊SS。黒シャツにドクロマーク。1929年にヒムラーが隊長就任。)を組織して党首直属の直接行動隊として動いた。このSAやSSは退役軍人・失業者らが主体で、こういった大衆的組織は若者や婦人らの層の人気を引き寄せた。1927年には『わが闘争・下巻』も発刊し、1930年の総選挙では第二党(議席12名→107名)、そして前述の1932年7月の総選挙で、これまでヴァイマル体制を支えてきた社会民主党よりおよそ100議席多いナチスが第一党となったのである。

2012年5月3日木曜日

ザ・エデン 何故イスラエルの六芒星は、ルシファー(秘密結社イルミナティが崇拝する神であり悪魔であり地球外生命体)なのか?


<↑動画 ③ 国家非常事態対策委員会 2012 2/14 ベンジャミンフルフォード  8分20秒からの発言>
ベンジャミン「この人達(ユダヤ人のふりをしたイスラエルの支配者)の星のシンボルは、ルシファー(悪魔=サタン=666)の星なんですよ」

(六芒星に隠された666、つまりルシファーの疑い)



(まさにルシファー<悪魔>的なやり方の国)

<↓サイトから引用開始。↓で語る「広瀬隆」氏は、反原発家で有名で、原発の裏を調べていく内に闇の組織(ロスチャイルド一族。秘密結社イルミナティの一部と言われている)の存在を知った方>

広瀬隆氏は著書『赤い楯』の中で次のように語る。
「イスラエルの建国は、全世界のユダヤ人がここに戻って来た、というような美しいドラマではなく、聖書を持ち出すなら、ダビデ王以前にユダヤ人ではない無数の民族がここにいたことを自ら聖書が証明する通り、パレスチナがユダヤ人の専用物であるはずはない。現代の話をするなら、すでにここに住みついていたアラブ人(パレスチナ人)を追放した侵略者はまぎれもなくユダヤ人であった。

イスラエルに入った人は、この土地がかつては荒れ果てた砂漠であって、これを緑に変えたのはユダヤ人である、という話を百回も聞かされる。そちこちで出版されている書物から、すでに出発前にその"歴史"なるものを読み、洗脳されているのである。ところが自分の足でイスラエルを歩いてみると、どこにでもアラブ人が住み、畑を持っている。北部ガリラヤの野辺は、キリストが山上の教訓を垂れた丘一帯にひろがる緑が、何千年もの歴史を物語っている。アラブ人が畑で働いている。

こうしてイスラエルという国家に懐疑的になる。

時代は変わり、PLOのアラファト議長の登場からパレスチナ問題が多くの人にも理解されるようになり、数々のジャーナリストが正確な中東情報を伝えるようになってきた。これに危機感を抱き、パレスチナ人の絶滅によって問題の消滅をはかろうとしているのが、今日のユダヤ人国家イスラエルである。

闘争の責任者はアラブとイスラエルのいずれにあるのか、という議論を交わす者がほとんどであるが、これは、議論の出発点を誤ったものである。パレスチナ問題の根源は、"ヨーロッパ人"によるユダヤ人迫害にあった。このヨーロッパ人の責任が、アラブ人から土地を奪取することによって中東に転嫁されたことに源がありながら、そのヨーロッパ人が口をつぐんでいるのは、不思議な沈黙である。イスラエルを建国することは、ユダヤ人を追い出したいと思うヨーロッパの、多年の願望だったのである。イスラエルはユダヤ人の国ではなく、ヨーロッパによって創られた国であった。」

「イスラム教とユダヤ教の対立、あるいはアラブ民族とユダヤ民族の死闘、これはそのあとに生まれた結果であり、中東紛争の原因ではない。熱烈なシオニズムがイスラエルを建国したと言うが、そのシオニズムを動かしたユダヤ人の主な協会や機関を調査してみると、上のようなリスト(↓にそのロスチャイルドリスト)ができあがる。(残念ながら、ここに全てを紹介することはできない)。

2012年5月1日火曜日

ユーリヤ・ティモシェンコ - Wikipedia


ユーリヤ・ティモシェンコ(ウクライナ語: Юлія Володимирівна Тимошенко発音 [ˈjulijɑ ʋɔlɔˈdɪmɪriʋnɑ tɪmɔˈʃɛnkɔ]) 1960年11月27日 - )はウクライナの政治家、実業家。旧名ユーリヤ・ヴォロドミリヴナ・グリギャン[1][2] (ウクライナ語: Грігян、ラトビア語の名字);[3]で、出身民族はラトビア系ロシア人(非ウクライナ人)。アルメニア系ユダヤ人との説もある。既婚者で夫はウクライナ人のオレクサンドル・ティモシェンコ。

ウクライナ共和国第11代首相、第14代首相[4][5]。所属政党は全ウクライナ連合「祖国」、政治同盟ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック。

オレンジ革命でヴィクトル・ユシチェンコを支持する女性政治家として注目を集め[6]、好意的な報道が主に欧米諸国で行われた。しかし政治家転身以前は海賊版商品の密造・密売を手がけるなど違法な方法で非合法資金を集めており、過去に詐欺等による逮捕歴もある。ソ連崩壊後の混乱を利用し、それらの違法資金を汚職議員への賄賂として提供、見返りにウクライナでガス資源会社の独占を図った疑いが持たれている。このような問題行為が取り沙汰される一方、ウクライナ内で最大の保有財産を持つ資産家として記録された[7]

オレンジ革命を共に主導したユシチェンコとはその後政治路線を巡る対立が顕著になり、政界内で孤立していく。2010年には巻き返しを意図して大統領選挙に立候補したが、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ現大統領に第一回投票、及び第二回投票[8]の双方で落選する。敗北後に投票操作による陰謀論を主張し選挙の無効を訴え[9][10]、法廷闘争に持ち込む構えを見せていたが「裁判所を信用できない」として、結局訴追を取り下げた[11]

2011年8月5日、ガス資源に関する汚職行為でウクライナ警察に逮捕された[12][13][14]。この逮捕に関しては、オレンジ革命を支持してきた欧米諸国から国策捜査と主張する主張も見られたが[13]、裁判の過程で巨額の国家予算資金横領(2010年12月)を裏付けた証拠が露見したとされている[13]

[編集] 出自

ユーリヤ・ティモシェンコは1960年11月27日に、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、ドニプロペトロウシク州ドニプロペトロウシク市に生まれる。旧姓はグリギャン(grigan)。父はラトビア人のウラジミル・グリギャン、母はロシア人のリュドミラ・テレギナ[3][15][16]。父は、ティモシェンコが3歳の時に家庭を捨てている[17]。母とユーリヤ・ティモシェンコ自身はウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系) の信者である。二人ともロシア語で生活し、ティモシェンコがウクライナ語を話せるようになったのは36歳頃になってからだった[要出典]

[編集] ガスの王女

1979年、彼女は、ソ連共産党の中級党官僚の息子だったウクライナ人オレクサンドル・ティモシェンコと結婚し、苗字を改める。1984年ドニプロペトロウシク国立大学を卒業し、経済学博士の学位を取得した。ウクライナ鉱業大学にも在籍していたが卒業はしていない[18]