2012年3月31日土曜日

スピリチュアリズムから見た肉食と動物虐待の問題


1.肉食に対するスピリチュアリズムの基本的見解と一般人の反応

"肉食"に反対のシルバーバーチ

スピリチュアリズムの中で、この問題を大きく取り上げているのが他ならぬシルバーバーチです。モーゼスの『霊訓』やカルデックの『霊の書』には、肉食についての言及はほとんど見られません。高級霊からの優れた霊界通信には、内容的に多くの共通性がある一方で、それ独自の特徴・個性もあります。

シルバーバーチの霊訓の際立った特徴は、再生の問題と心霊治療の問題を集中的に取り扱っていること、また動物への愛を強調している点にあります。シルバーバーチの霊訓をすでに読んでおられる皆さん方には、シルバーバーチが"肉食"に対して明確な反対の姿勢を取っていることをご存じです。狩猟や動物実験などの"動物虐待"に対しても強い批判の声を上げています。実はそれによって、シルバーバーチの教えが『霊訓』や『霊の書』以上の高いレベルにあることが示されているのです。

シルバーバーチは――「人類は霊性の進化とともに、その大半が"菜食主義"になっていく」と極めて重大な内容を述べています。

肉食問題に対する反応

今回、ニューズレターで改めて肉食の問題を取り上げることは、おそらくスピリチュアリストである皆さん方にとって、あまり嬉しいことではないでしょう。なぜならスピリチュアリズムに導かれたといっても、大半の方々がいまだに肉食をしているからです。自分は"ベジタリアン"であると断言できる人は、むしろ少数派です。肉食の問題には触れずに、何とかやり過ごしたいと思っている人が、ほとんどではないでしょうか。

日本では、たかだかここ30〜40年のうちに、急速に食生活が欧米化されました。それにともなって肉食が一般大衆の間に広がって、今では肉食は日本人の中にしっかり根付いています。肉を用いない料理本や料理番組を探すのは一苦労です。欧米では、日本に比べ肉食の食習慣が長い間続いてきました。肉食が食生活の中に占めるウェイトは、日本の比ではありません。したがって、もし「肉食は廃止されるべきだ」などと言おうものなら、間違いなく大きな反発を引き起こすことになります。その圧力は、日本とは比較にならないほど強烈なものでしょう。

シルバーバーチは、その辺りの事情は百も承知のうえでわざわざ――「こんなことを言うとまた私は不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げなければなりますまい」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(心の道場)  p.130)と述べています。シルバーバーチは別のところで「純粋無垢の真理は時として苦く、また心を傷つけることがあるものです。しかし、あくまでも真実なのですから、いずれは良い結果を生みます」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(心の道場)  p.177)と言って、真実は真実として、人々に迎合することなく述べ伝えなければならないという毅然とした姿勢を貫いています。

私達も当然、そうしたシルバーバーチの姿勢を見習わなければなりません。シルバーバーチは、たとえ人々から嫌われるようなことになっても、真実は真実として主張していく良き手本を示しています。今回、ニューズレターで肉食反対の主張をすることは、多くの人々の心に痛みを与えることになりますが、それを承知のうえで敢えて取り上げていきたいと思います。

スピリチュアリズムが"肉食"に反対する4つの理由

スピリチュアリズムは肉食に反対しますが、それは肉食が「神の摂理(宇宙の法則)に反している」からです。肉食は、神の摂理から逸脱した行為であるという理由によって許されません。摂理に反する内容とは、具体的に次の4点にまとめられます。

第1点は――生命はすべて神のものであり、人間が勝手にそれを奪う資格は与えられていないということです。人間に生存権があり尊重されなければならないように、動物にも神によって生存する権利が与えられています。肉食は、この神の摂理を根本から犯すことになります。

第2点は――人間と動物は利他性・利他愛という神の法則(摂理)に基づいて共利共生の関係を築くように造られています。"利他愛"という神の法則は、人間同志の間においてばかりでなく、人間と動物の関係においても等しく適用されなければならないものなのです。肉食はこの利他愛という摂理を根底から犯すことになります。

第3点は――肉食は大地の恵みを不公平に分配するようになり、人類に対する利他愛という神の法則を犯すことになります。肉食は、人類に対する利他愛とは全く逆の"人類虐待"という結果をもたらします。

第4点は――肉食は、私達地上人の霊的成長に悪影響を及ぼすようになるということです。

肉食は、こうした4つの点で神の摂理に反しています。そのためにスピリチュアリズムでは、肉食を間違いとしています。次に、これら一つ一つの内容について詳しく見ていくことにします。

2.肉食の間違いの1つ目の理由――神が与えた動物の生存権を奪い取る

生命は神のものであって、人間のものではない

人間をはじめ地球上のすべての生物は、神から生命を与えられ、存在するようになりました。人間も動物も、等しく神から生命を与えられ、神によって創造されたのです。宇宙の生命体に内在する生命の一つ一つが、神の表現であるからこそ"神聖"なものなのです。

私達の生命は、私達が地球上で生きるために「神から与えられたもの」であり、自分自身でこしらえたものではありません。「生命は神のもの」であり、勝手にそれを断つことは許されません。自分の生命は自分だけのもののように思っている人がいるかも知れませんが、本当は私達人間の所有物ではないのです。そして同様のことが動物の生命についても言えるのです。動物にも、神によって人間と等しい"霊的価値"が与えられています。

人間には生命を造る力はありませんし、その生命が顕現する他の動物達の身体を破壊する資格もありません。当然、人間が他の動物達の生命を奪うことは許されません。人間が他の動物を殺すのは間違いであり、神の摂理に背くことになります。「動物を殺せば、人殺しと同じ霊的罪を犯すことになる」のです。

殺した動物の肉を食料として食べることが、現在の地球上では何の罪意識も心の痛みもなく当たり前のように行われていますが、それは現在の地球人の霊的進化のレベルが、いかに低いものであるかを如実に示しています。地球はすべての惑星の中で下から2番目の霊的進化のレベルにあることが明らかにされていますが、その霊性の低さは、肉食という"悪"が堂々と行われているところに端的に現れています。宇宙に無数にある惑星の中で、現在の地球のように他の動物を殺してそれを食料にしているところは、たった一つの惑星を除いてはないのです。

人間の生存権同様に、「動物の生存権」も尊重すべき

霊的真理を一般の人々に先駆けて知ることができた私達スピリチュアリストは、殺害の観念がつきまとう食品は食べないようにすべきです。肉食を避けた方がいいのは、いい加減な霊能者が言うような、殺された動物の恨みの念が込められているためではなく、肉食が「動物の生存権を奪う」という神の摂理を犯した結果であるからなのです。神の摂理に反した行為の結果であるという理由によって、肉食は避けなければなりません。

霊性が極めて低い地球であっても、長い人類歴史にともなう進化の結果、他の人間を殺すのは間違いであることに気がつくようになりました。人間はお互いの生命を尊重しなければならない、すべての人間に等しい生存権を認めなければならないという神の摂理が、地球人類の常識になりました。

人間社会の中で最も嫌われる存在は独裁者ですが、それはこの"生存権"という神の摂理を平気で犯すからです。人間に対する生存権が等しく尊重されるようになったということは、地球人類における一つの進歩です。人間がお互いに殺し合う(戦争)のは間違いであるとの共通認識を持てるようになったことは、地球人類の霊的進歩を示しています。

しかし現在の地球は、まだ動物に対する生存権を認める段階にまでは至っていません。「動物に対する生存権の尊重」は、人間の生存権の尊重と同様、神の摂理に一致した在り方なのです。生存権は人間だけでなく、動物に対しても認められなければなりませんが、"人間は万物の霊長"などと勝手に間違った優越心を持ち、平気で他の動物を殺しています。

しかも、その残虐さは目を覆うばかりです。動物達にも人間と同じ生存権が神から与えられている事実に全く気がついていません。現代人は、人間としての権利を盛んに主張しますが、動物の持っている権利を犯して平気でいるのです。人間は地球上で最も偉大で大切な存在であると錯覚し、動物の生命を奪っても許される権利があると思い込んでいます。しかし、それは霊的に明らかに間違っているのです。

人間と同じ痛み・苦しみを味わう動物達

食料にするために、動物を牢獄のような狭い場所に閉じ込めて育て、大きくなれば容赦なく殺す。こんな残虐なことが許されるはずがありません。

殺され食料とされる家畜は、いずれも私達人間と同じように「痛みも苦しみも感じている」のです。狭い場所に閉じ込められれば、発狂しそうになるほどの「苦しみを味わっている」のです。怪我をすれば、私達と同じように「痛みから逃れたいと悶え苦しむ」のです。殺されることが分かれば「恐怖に駆られ、必死に逃げて生き延びようとする」のです。食料とされる動物達にも、私達人間と全く同じ痛み・苦しみ・恐怖があることを忘れてはなりません。

"ナチス"と同じことをしている現代人

第2次大戦のナチスドイツによるユダヤ人の虐殺は、地球人類に大きな衝撃と傷痕(きずあと)を残しました。私達は、ガス室で殺された人々の大量の死体が、まるで物体のように山積みにされたり、死体が無造作に穴の中に投げ込まれるシーンを見て大きなショックを受けました。「ナチスは、何とひどい残虐なことをしたものか!」と誰もが怒りを覚えました。

しかし私達人間は、それと全く同じようなことを、何の罪もない動物達に対して行っているのです。つい最近では"狂牛病"がヨーロッパで猛威をふるい、パニック状態を引き起こしました。テレビでは、感染した家畜を残虐な方法で殺し、廃棄処分していく様子が放映されました。それはまるでアウシュビッツの虐殺シーンそのものです。ナチスドイツは「残虐な人殺し」という罪を犯しましたが、人類は「残虐な動物殺し」という罪を犯しているのです。

狂牛病の真の被害者は、家畜業者でも消費者でもありません。家畜自身なのです。人間は病気になれば病院に駆け込み早く病気を治そうとします。ペットが病気になっても急いで獣医に連れて行きます。もしペットが病気で死ぬようなことになれば、落胆し悲しみに暮れることになります。

しかし、哀れな家畜は伝染病が発生すると、自分は病気になっていないにもかかわらず何万・何十万の仲間とひとまとめに殺されてしまいます。こうした残虐非道な犯罪が、今もって堂々と行われているのです。そして大半の人々は、それが間違っていることにさえ気がついていないのです。

2012年3月28日水曜日

常葉学園大学:大学案内 – 本館


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